しかも、はあちゅうはその炎上にもひるむことはない。はじめての顔出しで「ブスだ」と攻撃されて以来、10 年にわたって炎上を繰り返しながら、まったく意に介することなく、同じスタンスをつらぬいてきた。
「批判を言う人はそういう役割を演じているんだと思っておけばいいと思います。そういう役もいないと、ドラマは成り立たないので」(同)
ところが、そんな強くて前だけを見ているはあちゅうが5月に上梓した『恋愛炎上主義。』(ポプラ社)で、自身の意外な過去を告白している。幼少期、両親に愛されなかったがゆえにトラウマを抱え、今も愛情への不信感をぬぐえないというのだ。
「うちの両親はとても仲が悪かったです。(中略)母は父のことが好きではなかったし、父は仕事が忙しかったこともあり、家族にあまり関心がなかったんだと思います」
「妹は体が弱かったので、母の関心や時間は妹の病気を治すことに取られ、父は、あまり家にいなくて、私は長女だったけれど、いつも「もっと愛されたい」と思っていました。たぶんもっと両親に注目されたかったんだと思います。ただ、テストでいい点をとったり、何かのコンクールで入賞すると父も母も、褒めてくれました」
「恋人には自分より強く、男らしいことを求め、とことん甘えたいと思っています。けれどそもそも、父と母の「愛情」を見て育っていないので、愛情への不信感が、心のなかに根強く残っているんですね。なので相手に無理な要求をして、愛情の強さを試してしまう」
これって、典型的な“試し行動”ではないか。そう考えると、はあちゅうの 自己キャラクター化というのも、自己実現のためのセルフブランディングというより、満たされない承認欲求を満たすための自己救済、代償行為のような気がしてくるのだ。
実際、はあちゅうは同書の中でこんな事も語っている。
「私は『男の人には内面なんかを褒められるより、見た目を褒められるほうが嬉しい』と何度かインタビューでも言っているのですが、それも、内面なんていう見えないものより、ちゃんと目に見える『見た目』を愛してくれる方が、ちゃんと愛との交換条件が見える形で成立するから、安心するからだ、と自己分析しています」
一見、意識高く自己実現を重ね己の道をゆく“キラキラ女子”たるはあちゅうが、初めて明かした自身の暗部。自分の重たさを売りにしているそのへんの“こじらせ文化系女子”よりも、案外こちらのほうが闇は深いのかもしれない。
(小宮 鰯)
最終更新:2014.08.05 07:04