そもそも日本の学校は「兵舎」なのをご存じだろうか。職員室は上官室、教室は兵隊の宿舎兼待機所。運動場や体育館は訓練場所といったように学校はそのまま兵舎として活用できる、というか、兵舎をそのまま学校にしたというほうが正しいだろう。
夏休みになれば、小学生たちは朝のラジオ体操をする。このラジオ体操も「兵式体操」が元になっている。兵式体操とは、1885(明治18)年、文部大臣だった森有礼が「貧弱な日本人の体格を強化」することを目的に発案した。江戸時代まで日本人は、一部の武士を除き、肉体の強化に関心はなかった。そこで欧米人に負けない肉体を得るために兵式体操や柔道などの格技を学校教育に取り入れた。スポーツのことを「体育」(身体を育てる)と称するのは、そのためなのである。
実際、体育祭は、隠されてきた軍事教練ぶりがいかんなく発揮される行事であろう。行進、組体操、障害物競走などは、本当の軍隊でも行うカリキュラムであり、騎馬戦、棒倒し、応援合戦などは、軍隊のレクリエーショ競技といっていい。
6・3・3の12年、日本人は銃こそ扱わないが、徹底的に「軍事訓練」の基礎を叩き込まれている。なにより軍隊は前線で戦う兵隊ばかりが必要ではない。軍の部隊を支える「軍属」、一般業務を担当する人材のほうがはるかに重要なのだ。その意味で、男女問わず健康な日本人ならば、銃などの専門知識と軍規を教えれば、すぐにでも軍属として使える。外国人が日本の学校風景を見て、異様に思うのも当然であろう。
憲法で国民に教育を受ける「権利」があるといいつつ、それがなぜ国民の「義務」なのか、疑問に思ったことはないだろうか。
それは、義務教育が「国民皆兵」の制度だからである。──経済評論家の日下公人氏は、自著『教育の正体 国家戦略としての教育改革とは?』(KKベストセラーズ)で、そう喝破している。明治新政府が義務教育を行ったのは、巷間、語られてきたような最先端の西洋文明を受け入れるためではなく、「富国強兵」のための国民皆兵に不可欠だったから。日下氏はそう指摘しているのだ。
幕藩体制から中央集権国家となった明治政府は、徴兵した国民皆兵へと移行した。たとえば九州と東北出身者が同じ部隊に配属すれば方言でコミュニケーションできない可能性がでてくる。読み書き計算などの基礎学力、軍事行動に必要な運動能力、軍としての規律ある集団行動といった、一定の基礎が揃わなければ近代軍として運用ができない。全国から一般国民を徴兵するとなれば、兵の均質化を「国家」が担う必要が出てくる。そのために義務教育制度が始まったというわけだ。
標準語を教え、最低限の読み書きなどの基礎学力、体育(格技)による運動能力の向上、集団行動の徹底を尋常小学校から高等小学校(現在の中学2年生)までに教え込む。まずは国民すべてを兵士として教育し、そのなかで別な分野に才能があれば他の分野の高等学校や専門学校に行くというのが、明治以降の日本の教育制度の実態だったのだ。