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『花子とアン』も描く白蓮の駆け落ちは朝日新聞の仕込みだった!?

 いったいなぜこのような騒ぎになったのか。実はこの駆け落ち劇そのものが、朝日新聞記者の“仕込み”だったらしいのだ。龍介はこう回想している。

「私と燁子との問題は家族の者にも一切話さず、友人の赤松君と朝日新聞にいた早坂二郎君にだけ打ちあけて、いろいろ相談しました。彼らは私が燁子と結婚することには大賛成でした。そして同じやるなら、一つ世間に衝撃を与えるようなやり方をした方がいいだろうということに、三人の意見が一致しました。
それには多くの新聞社に共同発表するよりは、一社の特ダネの形で世間に発表する方が効果がある、という早坂君の意見で発表は朝日新聞一社にしぼることにきめました」

 つまり、世間に自由と人権を訴えるために、龍介の友人である赤松克麿と、朝日新聞の早坂記者が一緒になってこの過激な計画を考えたというわけだ。さらに早坂記者は自社のスクープにすべく龍介をたくみに誘導している。ヤラセとまではいえないが、記事をつくるために“行動”を教唆したと言われてもしようがないだろう。

 そして、10月22日、朝日新聞朝刊の社会面は、全ページが白蓮と龍介の「白蓮事件」で埋められ、予想通りの大センセーショナルがまきおこされる。だが、ここからが大変だった。当時は姦通罪もあり、女性が夫や嫁ぎ先に反旗を翻し、年下の男に走るなどというのは絶対に許されないことだった。2人は世間から、激しい非難にさらされていく。それは身の危険さえ伴うものだった。

「私のところには、毎日のように『悪党』『国賊』といった罵詈雑言の手紙が山ほど舞いこんでおり、暴力団まで家の前をうろうろする状態でした。そしてある日、とうとう右翼の壮士三人、私の家へ乗り込んできました」
「母は、相手は短刀くらいもっているかもしれないからと、私に着物の下にふくろ真綿を着させました。(中略)弟は木刀をもって応接間のふすま一つへだてた奥の六畳間に身をひそめることになりました」
「私は壮士の三人を応接間にまねき、私はなるべく彼らから遠い位置に坐り、いつでもふすまをあけられるようにしておりました。三人はかわるがわる私にあらんかぎりの罵倒を投げつけましたが、私は返事もせず黙ったまま彼らの手ばかりみつめていました。相手の手が動いたら、すぐ弟に知らせようと緊張していました。しかし、ついに彼らは私に向かって手だしはせず、一時間ほどいて最後に、『またくるから、貴様、よく考えておけッ』と捨てゼリフを残して帰っていきました」

 仕込みネタで世論を煽った結果、右翼に乗り込まれてしまう。何か、ネトウヨから攻撃を受けて炎上を繰り返している今の朝日の姿を彷彿とさせる話ではないか。

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