『ディズニー アナと雪の女王 ありのままでだいじょうぶ ディズニー物語絵本』(講談社)
メガヒットを記録中のディズニー映画『アナと雪の女王』の主題歌「Let It Go〜ありのままで〜」が、街でもお茶の間でもヘビーローテーションされている。流れる曲を劇場の観客全員で歌う企画が各地で開催され好評を博しているというし、書店では女性向け書籍の帯の文句がいっせいに「ありのままで」ふうになるという現象も起きている。今年の夏はこれ一色になりそうな勢いだ。
アナの姉エルサは、自分のもつ魔力のせいで苦悩する。それが妹のアナを傷つけ、また王国の民衆から白眼視される原因になるからだ。「レリゴー」は、そんなエルサが遠い山へと逃げ出し、本来の自分──ありのまま──でいられるその場所で、氷の宮殿を築きあげるときに歌われる。
そんな「レリゴー」が、どうしてこんなに人気なのか。それは、自分のパーソナリティ(個性)をめぐって生まれる不安や葛藤を、この歌が見事に表現しているからだろう。ここでいうパーソナリティとは、私たちの持って生まれた気質、性格、能力のこと、つまり「ありのまま」の自分のことだ。では、どうしてパーソナリティが不安や葛藤の種になるのだろうか。言い換えれば、「ありのまま」に生きるのはどうしてむずかしいのだろうか。本稿ではこの疑問を、パーソナリティ概念の生誕地である西洋哲学の歴史とともに考えてみよう。
パーソナリティなる言葉の成り立ちを調べると、興味深いことに気づくはずだ。よく知られた事実であるが、その語源はラテン語の「ペルソナ」(persona)にある。ペルソナというのは演劇で用いる「仮面」を指している。つまり、ありのままの自分とは仮面のことだというわけだ。でも、これは奇妙ではないだろうか。ふつう仮面はありのままの自分を他者から隠すために付けるものなのだから、それはむしろありのままとは正反対のものではないだろうか。そう、まさしく正反対のものであり、そこがポイントなのだ。