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安倍政権が軍艦島世界遺産で約束した徴用工の説明センターに「朝鮮人差別ない」の一方的証言! センター長は安倍首相の幼馴染のあの女性

産業遺産情報センターHPより


 ユネスコの世界文化遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」を説明する施設「産業遺産情報センター」(東京都新宿区)が15日から一般公開された。

 このセンターは、日本政府が2015年の世界遺産委員会で「明治日本の産業革命遺産」を世界遺産に登録する際、これらの施設で徴用工を強制労働させていた問題を国際社会から指摘されたため、当時の徴用政策について理解できる措置を講じるとして、設置を表明していたものだ。日本政府はその際、「意思に反して連れてこられ、厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者」がいたことも認めていた。

 ところが、実際にオープンしてみると、「産業遺産情報センター」は、まったく逆の存在になっていた。徴用工の置かれた過酷な状況を説明するどころか、徴用工差別を否定するインタビューが展示されていたのだ。

 同センターでは軍艦島(端島)や長崎造船所、八幡製鉄所など登録された23資産とともに、「国民徴用令の官あっせん、徴用、引き揚げについて理解できる5文書」をパネルで列挙している。しかし、説明は通り一遍のものにすぎず、その隣には徴用工問題は解決済みとアピールするかのように、1965年の「日韓請求権協定」の全文まで掲示されているという。

 さらに、同じ部屋には、元島民らのインタビューも紹介されているのだが、徴用工が受けた差別などを証言するものではなく、逆に、父親が軍艦島炭鉱で働いていたという在日韓国人2世の「いじめられたとか、指さされて『あれは朝鮮人ぞ』とは全く聞いたことがない」という証言が紹介されている。

 こうした報道を受けて、ネトウヨたちは「やぱり徴用工差別はでっちあげだった」などと吹き上がっているが、バカも休み休み言え、という話だろう。

 朝鮮人の徴用工が国内の各地炭鉱などで苛烈な労働と悪環境、差別や暴力に、脱走したり抵抗を試みたという記録は、公的文書によるものも含めて山ほど残っている。

 たとえば、長崎関連の記録を紐解いてみると、佐世保でも、池野炭鉱、中里炭鉱、相ノ浦炭鉱 、柚木炭鉱など複数炭鉱で、朝鮮から連れてこられた人々が働かされていたことがわかる(竹内康人・編著『戦時朝鮮人強制労働調査資料集 増補改訂版』神戸学生青年センター)。

 当時、日鉄鉱業池野炭鉱の炭鉱婦だった女性によると、1944年ごろには、働いていたのは朝鮮人ばかりになっていたという。女性は、朝鮮人たちが置かれた環境をこのように振り返っている。

〈炭坑労働者の朝鮮人は、「半島」「半島人」と呼ばれ、それはもうとてもかわいそうでした。今思い出しても、涙が出ます。一番あわれなのは、食べ物がないことです。小さい粗末な木の箱の弁当箱の中身に米はない。シャギ麦というか、つぶし麦ばかりで、おかずはタクアン五、六きれだけです。〉

〈食べ物がなくて、腐ったみかんを拾って食べている朝鮮人を、憲兵がひどくなぐっているのを見たことがあります。どんなに体の具合が悪くても、休ませなかった。あるとき、四〇過ぎの朝鮮人労務者が、とても疲労がはげしくて「少し、上がらせてくれ」とたのんだが、聞き入られなかったので、風洞の中へ入った。それを見つけて引っぱられたが、一晩で顔の形相が一変してしまいました。それははげしいリンチを受けたからだと思います。〉(『原爆と朝鮮人 長崎県朝鮮人強制連行、強制労働実態報告書 第5集』長崎在日朝鮮人の人権を守る会)

 さらに池野炭鉱では、新しく連れてこられた朝鮮人は未熟な技術のまま危険な作業をさせられていたという。元炭鉱婦の証言によれば、重い箱を頭から被って、17、8歳くらいの朝鮮人の新人が即死した事件もあった。

〈入坑して二週間目ぐらいの子でした。そのとき、上の人たちは、「朝鮮人の一人や二人死んだって、筆で書けば事はすむ。日本人(報国隊)だったら、指先一つ切ってもうるさいが……」といっていました。死んだその子の顔は、今でも覚えています。本当に朝鮮人は無理無体でした。みんな一生懸命に働いていたのに。〉(同上)

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