今回は「固定残業代の繰越制度」という、ちょっと耳慣れないものについての話をしたい。
固定残業代とは、次のようなものである。
仮に月40時間分の時間外労働に相当する残業代が固定残業代とされているとすれば、
(A) ある月の時間外労働が45時間であった場合には、固定残業代40時間分+5時間分の残業代が支払われる。
(B) ある月の時間外労働が10時間しかなかったとしても、40時間分の固定残業代を支払う。(30時間分の残業代を引いたりはしない)。
このように、本来の固定残業代とは、長時間働けば差額精算がされるし(A)、いっぽうで短時間しか働かなかったとしてもそれで残業代が減ることはない(B)。
もっとも、実際には少なからぬ企業において、上記(A)の差額精算が行われない、つまり文字通り残業代が「固定」されてしまい、いくら働いても支払われる残業代は定額という扱いがされてきた。
「定額使いホーダイ」とも揶揄されるゆえんであるが、もちろんこれは当然違法であり、労働者には差額精算を求める法的権利がある。このことも最近はだいぶ常識になってきたように思われる。
しかし。
そうすると、ブラック企業は、またよからぬことを考える。
……──(A)の差額精算が仕方ないのは(しぶしぶ)理解したが、これでは、(B)の30時間分について、一方的な残業代の払い損ではないか。
金は払っているんだから、その分だけでも働かせたい──。
本当は、これを解決するのは簡単で、単に固定残業代制度をやめればいいだけである。
しかしブラック企業は、それはしたくない。固定残業代をやめてしまうと、求人票に記載する月収額が低くなり、良い人材が集まらなくなってしまうからである。
かくして、固定残業代による見せかけの高収入を維持しつつ、労働者を長時間働かせるべく、ブラック企業はまた悪知恵を働かせるのである。
前置きが長くなったが、ここからが実際の事件の話である。
数年前の年末、クリスマス当日に、事務所の電話が鳴った。電話をかけてきたのは、とある企業の産業医であった。
“自分が産業医を務めている会社がとんでもないブラック企業だ。いま診ている労働者が、このままでは壊れてしまう。明日から冬休みに入るのだが、年明けに出社させたくないので、なんとかこの年末年始に相談を入れてほしい……”
産業医が自らのクライアント企業を「ブラック企業」と言い切っていることに、尋常ではない事態を感じ、なんとか都合をつけて、年明け早々に相談を入れることにした。
産業医とともに相談に訪れたのは、20代のシステムエンジニアの青年だった。
この青年は、超長時間労働のため、うつ病になってしまったという。
そして、この青年に適用されていた給与制度が、「固定残業代の繰越制度」であった。
就業規則によると、この制度は、固定残業代として支払った残業代のうち、当月の未消化分について、翌月以降に「繰越す」ということであった。
冒頭の例でいうと(B)の未消化分30時間は翌月に繰り越されることになる。
したがって、翌月70時間時間外労働をしたとしても、その月の固定残業代40時間分プラス繰越分30時間分で残業代は支払い済みということになり、差額精算は一切行われない。
この制度、一応、計算上は、働いた時間に対応する残業代は支払われることにはなるので、パッと見には、何が問題なのかわかりにくいかもしれない。
しかし、この制度は、超長時間労働を誘発する極めて恐ろしい制度なのである。