共謀罪法案をめぐるプロセスを直接的に批判した「キョウボウザイ」など、これまでも積極的に社会的トピックについて言及してきたSKY-HIだが、2018年は、ミュージシャンと政治、社会の関係について、想像以上に深い思索をめぐらしていることを証明した。白眉は雑誌『ユリイカ』(青土社)に掲載されたインタビュー。SKY-HIはケンドリック・ラマーのようなアーティストが大きな力を持つアメリカの状況と比較しながら、日本の状況をこう憂える。
「日本だとそういうムーブメントは起こらないですよね。あゆ(浜崎あゆみ)が流行ったから、ヒョウ柄のギャルが増える、とか、アーティストの本質にかかわらず、表層的に人々の消費欲求を刺激するに留まるものがほとんど。意識とか、生き方に影響を与えることにまで至らないと思われているし、作る側もそう考えているようなフシも感じて」
さらに、「音楽に責任はありません」という宇多田ヒカルの言葉が入ったタワーレコードのポスター問題について訊かれ、こう語った。
「『音楽で世界を変える』って言葉の方が、いまは欺瞞として捉えられがちじゃないですか。謙虚とか謙遜もすごく美しいとは思う。でも、「僕にできることなんて歌うことくらいだから」とか、「音楽をやることにしか能がない」とか、そう発言することが美徳とされていたり、逆に社会に対してコンシャスな人を「意識高い系」と冷笑する状況は、決して理想的な状態ではないと思う。日本にはいいところもめっちゃあるから、それは大事にしたいとは思うものの、この国の問題に目を塞いでいてはいけない。とくにいまって、若い子にとってマイナスとなるような問題が多いですよね。どうして日本がこういうことになってしまったのかを考えるのは、ミュージシャンだけではなくすべての大人の責務なんだけど、とりわけ俺たちミュージシャンは若い世代と触れ合う機会が多いから、その責任が重大になってくる。だから、くだらねえ歌を流しているような場合じゃないんですよ」
また、このインタビューのなかで、SKY−HIは政治的、社会的発言が排除されがちな状況の大元に、日本社会の構造的な問題があることまで言及していた。
「それはGHQの陰謀だ!ってのは冗談なんだけど(笑)、日本の戦後教育のやり方を問い直すことにも繋がるような気がして。制服の問題に代表されるように、同じ格好、同じ行動、規律を乱すな、ということを是とするスタンスは、明治初期ならまだしも、現代でいまだにそれをやっているのかと呆れてしまうし……」
「GHQの陰謀」と歴史修正主義者の用語にツッコミつつ、そうした陰謀論に基づいたよくある右派の戦後民主主義批判とは真逆で、むしろ現在もいまだ残る戦前の価値観の問題を批判してみせたのは、SKY-HIがいかに本質を見抜く目を持っているかの証明だろう。
SKY-HIがいてくれることは日本の音楽界にとって救いだ。オーバーでなく、そう思う。