百田センセイは『日本国紀』において、WGIPが占領下で効果があがらなかったことについては〈戦前に教育を受けてきた国民の多くには、心の深いところまで自虐思想が浸透しなかった〉〈ところが、昭和一〇年代の終わり(戦中)以降に生まれた人たちは、小学校に上がった頃から、自虐思想を植え付けられた人たちである。何も知らない白紙の状態の柔らかい頭と心に一つの思想を注入された時の効果は絶大である。〔略〕不幸なことに、この世代は戦前の日本すべてを否定する日本人として育てられたのだ〉と御都合主義的に展開し、〈彼らの自虐思想は、親の世代が生きた戦前の日本を全否定するまでに膨張し、さらに「反日」という思想が生み出されていく〉などと畳み掛けているが、あまりにも議論が雑すぎるだろう。
たしかに戦中と戦後で価値観の転換はあったが、それは第一に日本が敗戦したという事実に基づき、第二に戦争の非人道性という事実に基づく。どうしてその事実を知らされることが「洗脳」になるのか。逆に言えば、天皇は事実としては人間であるにもかかわらず「現人神」と教えることこそ「洗脳」ではないのか。加えると、百田は戦後のGHQによる検閲やプロパガンダは「洗脳」の装置として評価するが、戦前・戦中の日本政府と軍部による言論弾圧や思想統制には一切触れない。どうしてか? もうバラすまでもなかろう。
『日本国紀』は、日本と日本人は太古から素晴らしかったと喧伝する。だが、私たちはその「素晴らしい日本」が侵略戦争を起こし、未曾有の加害と被害をもたらしたことを知っている。だから百田センセイは「日本は侵略戦争をしていない」などと真逆のこと言うために、「国民は戦後に洗脳されて続けている」とうってでる。そして結論、〈日本にとって憲法改正と防衛力の増強は急務である〉とちゃっかり安倍首相の改憲のPRしながら、こんなポエムで締めくくるのである。
〈「敗戦」と、「GHQの政策」と、「WGIP洗脳者」と、「戦後利得者」たちによって、「日本人の精神」は、七十年にわたって踏み潰され、歪められ、刈り取られ、ほとんど絶滅状態に追い込まれたかのように見えたが、決して死に絶えてはいなかったのだ。二千年の歴史を誇る日本人のDNAは、私たちの中に脈々と生き続けてきたのだ。それが今、復活の時を迎えている──。〉
「もう好きに言ってろ」と吐き捨てたくもなるのだが、これが百田尚樹というベストセラー作家の名前で出されただけで、売れに売れてしまうのだから驚く。何度でも言うが、『日本国紀』はこうやって真面目に解説するのも辟易するぐらい退屈な本だ。しかし、この状況はいささかも退屈ではない。むしろ、筆者としては、すでに中身ではなく、「どうやったらこんな本が売れるのか」のほうに興味が移っている。
ちなみに、ネット上の指摘によって知ったのだが、この本は実際のタイトル通り「日本国紀」でツイッター検索をかけると、検索結果は批判的意見がほとんどを占めるが、「日本国記」とタイトルの漢字を1文字間違えて検索すると、絶賛、称賛だらけの結果になる。
(小杉みすず)
最終更新:2018.11.21 01:20