しかも、朝日新聞にいたっては、日本代表のパス回しを賞賛していた同じ紙面で、2位通過狙いのイングランド対ベルギーを無気力試合と批判していた。ロンドン五輪のバドミントンで韓国や中国などの選手が無気力試合で失格になったことまで引き合いに出して、である。ダブルスタンダード、ご都合主義としか言いようがない。
一方、話を飛躍させまくっていたのが産経新聞だ。前述の「成熟した」論の後にマキャベリの言葉を引き合いに出し、さらにこう続けていた。
〈興味深いことに、政治家からは「選挙と同じだ」、外交官からは「外交と同じだ」との感想が聞こえてきた。ルールの中でぎりぎりの駆け引きをし、多少体裁が悪かろうと結果を出すことがすべての世界ということか。〉
なんで、サッカーが政治や外交の話になるのか。モリカケなど「ずるい」政治をしまくっている安倍政権のことも「成熟した証拠」などと擁護したいのか。しかし、そんなクソみたいなアナロジーが成立するなら、攻撃しないパス回し作戦の成功は、専守防衛に徹した憲法9条の有効性を証明したとか(笑)、それこそなんとでも言えるだろう。サッカーの試合にまで自分たちの右派思想を仮託しようという、産経の姑息さにはいつものことながら辟易とさせられる。
もっとも、恥ずかしいのは、朝日と産経だけではない。他のメディアやコメンテーター、ネットの意見も似たり寄ったりだ。「ルールの範囲内」の倫理や姿勢が問題になっているのに、小学生のように「ルールの範囲だから悪くない」と強弁したり、ふだん「攻撃的なサッカーで勝たないと意味がない」と言っている元サッカー選手が「大人の判断」と強弁したり、さらには、「この試合で日本の道徳の価値観が変わる」「プロセスを重視してき日本人もこれからは結果を重視する時期が来たということ」などと、壮大な日本人論まで持ち出して、日本代表を擁護するコメンテーターまで現れていた。
どいつもこいつも一見、もっともらしいことを言っているような体裁をとっているが、実際は、「日本代表がやったことなんだから素晴らしい」「決勝トーナメントに進めたんだからアリに決まってる」とがなりたてているだけなのだ。