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はあちゅう、詩織さん…セクハラ告発者バッシングがあまりに卑劣! 加害男性でなく「女性の落ち度」が非難される理不尽

〈性犯罪防止が語られるときには必ずといっていいほど、「気をつけよう」と女性側の注意が促されます。警察でも学校でも家庭でも、なんの疑問もなく「女性に落ち度があれば、性犯罪に遭う」という考えが暗に受け入れられているのです。これでは“性犯罪=女性の問題”という等式が成り立ってしまいます〉
〈社会から男尊女卑の概念がなくならないかぎり、そこにある認知の歪みも是正されることはなく、性暴力加害者は再生産されつづけます。痴漢をはじめとする性犯罪は決して女性側の落ち度から発生するものではありません。男性優位社会に付随する女性差別的な視線が根幹にあることに、私たちはそろそろ気づくべきです〉

 社会に流れる男尊女卑の価値観が、「男性の問題」たる女性への性暴力を「女性の落ち度」に片づけようとしている──。こうした構造を指摘・批判すると、ネット上では必ずといっていいほど「フェミニスト女のヒステリー」などとあげつらわれるが、斎藤氏は男性である。しかも、斎藤氏は〈痴漢についての話がはじまると必ずといっていいほど「でも冤罪があるではないか」という声が上がるのは的外れ〉と批判し、男性がいかに痴漢被害への想像力が欠如しているかを強調する。

〈痴漢問題とは向き合えず、痴漢冤罪ばかりを強く主張する男性たち。人は見たくないものは、見ないものです。見ない物事にこそ男性を痴漢に走らせる本質があるのでしょう。それはとりもなおさず、男性が実は痴漢問題に関して当事者性を持っていることにほかならないと私は思います。加害者としての自覚があるからこそ、向き合えない。くり返しになりますが、痴漢は女性の問題ではなく男性の問題です。男性が目を逸らしつづけ、「女性の努力」による通報に頼るばかりでは、撲滅の日はいつまで経っても訪れません〉

 実際、痴漢冤罪の問題ばかりを強調する男性たちが糾弾しているのは、現に冤罪を生み出している警察や検察の問題でなく、なぜか被害を訴えた女性だ。 

 いま、声をあげる女性たちは、いままで語ることができなかった性暴力を公にし、その暴力に反対している。そしてこれは、金子氏や斎藤氏といった男性たちが指摘するように、「女性の問題」ではなく「男性の問題」なのである。性暴力の被害者をバッシングする人たちは、いま一度、「被害女性の落ち度がことさら気になるのはなぜなのか」について、男女問わず考えてみてほしい。

 これは、他の問題にも通底する。LGBT、障がい者、貧困者といった人びとが差別の実態を訴えたり政策の不備を指摘するとき、やはり同じように弱者バッシングが繰り広げられるからだ。だが、バッシングをする前に、「非難したい自分」について考える必要がある。社会的優位の立場から強者の物言いになっていないか。社会の構造を無視したり一方的な価値観に基づいてはいないか──。

 想像力が、みんなにとって生きやすい社会をつくり出す。「MeToo」という運動の根本には、そうした問いかけが含まれているのではないだろうか。

最終更新:2018.10.18 01:55

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