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紗倉まな原作映画『最低。』のテーマはAV女優と家族の関係…紗倉自身にもあった親バレ問題、そして偏見との葛藤

 彼女が作品を書き上げる原動力となった、その「さみしさ」や「孤独」とはいったい何か? 彼女は具体的にこのように綴っている。

〈人前でセックスをし、それを商品にするというある種の常軌を逸した行為は、世界からとことん置いてけぼりにされることもあって、こんなことを言うのはあれだけど、とてもさみしい。AV女優って、基本的にきっと、さみしい。世間から重いカーテンをひかれて、なかなか日差しを入れてもらえないような孤独を感じることは少なくはない〉(前掲『最低。』文庫版あとがき)

 紗倉まなといえば、高専在学中に自らAVプロダクションに応募の連絡を入れてAVデビューし、さらに「親公認」であると明かしていることはよく知られている。そういったエピソードの数々は、2015年に出版した自伝エッセイ『高専生だった私が出会った世界でたった一つの天職』(宝島社)に記されていて、18歳の誕生日を迎えた翌日に自らAVのプロダクションに応募メールを送ったことや、ソフトオンデマンド専属の単体女優になることが決まった後母親にAV女優になることを打ち明けると、驚きのあまり「よくわからない子ね」と言われながらも猛反対されることはなかった、といったことを屈託ない筆致で綴っていた。

 そういったことから、彼女はAV女優が抱える「親バレ」問題とは無縁なように思われてきたが、事はそう単純ではなかった。

『MANA』(サイゾー)のなかで彼女は、確かに親にAVの仕事を認めてもらってはいるとはいえ、それは親なりの葛藤を経た末の結論であり、「よし、AVで立派に稼いで来い!」といった流れではないと告白。そのうえでこのように綴っている。

〈最終的に「元気に楽しく生きていてくれるならいい。職業に貴賤なし」と、深い愛情でしぶしぶ了解してくれました。眠れない辛い夜もきっとあったでしょうが、“親なりの苦しい応援の形=認める”、ということになったのです〉

 また、高専在学中にデビューした彼女の場合「親バレ」以外にも「学校バレ」という問題も起きており、前掲『最低。』文庫版のあとがきでは、学校の会議室に呼ばれてほくろの位置や歯並びなどを指摘されながら先生たちに問い詰められたり、生徒の間で噂が広がったことで〈好奇な視線〉の的になっていたということも綴っている。

 こういった経験のもと、彼女はAV女優という職業に対する差別や偏見に対して釈然としないものを抱え、その結果、職業に起因するスティグマに対してカウンターとなるような活動にも足を踏み出すことになる。

 ただし、それは、自分を社会との対立者や被害者に見立てたようなわかりやすいカウンターではない。ある意味、文学的ともいえるような作業だ。紗倉は、この問題への向き合い方について前掲『MANA』でこう綴っている。

〈「AV出演=人生崩壊」というイメージを払拭できたら。偏見という厚い鉄製の壁を壊す作業を、今はアイスピックくらいの小さい工具でほじくっているような気持ちです。ちょこちょこといじるのが私の楽しみであり、仕事のやりがいでもあります。「もしかしたら、何かの拍子にツンとつついたら壊れるかもしれない」と希望を抱けるのも、ある意味で“グレーな領域の仕事”だからこその醍醐味なのかもしれません〉

 映画『最低。』も、こうした紗倉の闘いを後押しする作品になっているはずだ。

最終更新:2017.11.26 01:00

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