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星野源「Family Song」が示す“新しい家族”とは? 「家族がいない人はどうしたら?」に星野が出した答え

 星野は楽曲製作にあたり、「家族とは何か?」という命題を考え続けた。その結果として導き出された答えはこのようなものだったという。

「本当に相手の幸せとか無事とかを心から祈るっていう関係が家族ってことなのかなと」(8月20日放送『Love music』/フジテレビ)

 そこに血のつながりも、性別も関係ないし、家族のあり方だって人それぞれでいい。誰かに押し付けられる「家族のかたち」などは存在するべきではない。

 この「Family Song」で歌われた思いは、〈みにくいと/秘めた想いは色づき/白鳥は運ぶわ/当たり前を変えながら〉(ちなみに、これも2番のAメロである)と歌い、サビで〈夫婦を超えてゆけ〉と高らかに宣言した「恋」の延長線上にあるものだが、今回はそれをさらに踏み込んだ内容にしたものといえる。

 それは、「Family Song」のミュージックビデオにもよくあらわれている。この曲のミュージックビデオでは、サザエさん風の女装をした星野源がお母さん役を演じ、彼のバックバンドのメンバーであるドラマーの河村“カースケ”智康がおばあちゃん、ピアニストの小林創が長男、ギタリストの長岡亮介(浮雲)が長女、そして、スペシャルゲストの高畑充希がお父さんで藤井隆が次女と、年齢と性別がバラバラのコスプレを身にまとっている。もちろん、これは今年5月に放送された星野源の初冠番組『おげんさんといっしょ』(NHK)の世界観の流れであるわけだが、それを「Family Song」のミュージックビデオに再びもってきたのには、もちろん意味がある。彼は、8月1日放送『星野源のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)のなかでこのように説明している。

「この曲というのはいわゆるいままでの家族像を歌っているわけではなくて、これからの家族像を歌いたいなと思ってつくった曲です。(略)いろんな種類の家族っていうものがこれから普通になっていくんじゃないかなと思っていて。で、それを表すのに、いわゆるみんなが演じている、ミュージシャンも含め演じている家族の役割というものが年齢も性別も、もうグチャグチャなんですよね。で、そのなかでもしかしたら、いわゆるこういう、一発で言うと『サザエさん』なんですけど、その『サザエさん』的な風景のなかで性別がグチャグチャであるっていうものの未来ももしかしたらあるのかもしれない。で、そういうのも含め、家族っていうものがどんどんどんどん多様化していくなかでっていうものの曲のコンセプトっていうものをまず映像としても示したかったというのがあります」

 しかし、現在の“家族”を取り巻く社会状況は、星野が「Family Song」で表現しようとしたこうしたコンセプトと、180度真逆の方向性だ。たとえば近年、保守的な家族規範が押しつけられる風潮がどんどん強まっている。「教育勅語は、親孝行などいいことも言っている」と政治家が平気で公言したり、10歳の子どもに親への感謝を強要する1/2成人式が流行したり、子どもが事件や事故に巻き込まれるたびに母親がバッシングされたり……。その象徴的な存在ともいえるのが、日本会議の意向を強く反映した自民党の改憲草案にある「家族は互いに助け合わなければいけない」という、いわゆる家族条項だろう。一見もっともらしいことを言っているようにも見えるこの条項は、その蓋を開けてみれば、家父長制の復活を目論むかのような旧来的な家族像や性役割を押しつけるものであり、個人の価値観や多様性など一顧だにせずマイノリティーを排斥しようとするものでもある。また、それは、国家が担うべき社会保障がすべて家族内の自己責任に押しつけられるということも意味する。

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