「会議には、たとえば川村元気という東宝のプロデューサーに入ってもらいましたが、彼は別に一行も書いてくれるわけじゃない。けど、たとえば「瀧が三葉になって目覚めるまでに20分もかかったら、ちょっと退屈しちゃうかもしれません」とか言うんです。あるいは、何カ所か設定したクライマックスのうち、「こことここの2カ所の間がちょっと離れすぎているから、ひとつにまとめたほうが泣けるんじゃないですか」みたいなことを言うわけですよ。(中略)「いや、ここに来るまでに相当、構成を考えたんだけど」みたいな(笑)。しかも、照れもあるのでしょうが、「ここで泣かせれば興収プラス5000万ですよ!」とか、冗談めかして言うわけです。それもカチンとくるんですけど(笑)」(「アニメージュ」16年10月号/徳間書店)
この試みが実を結んだのは、記録的な興行収入、そして、『君の名は。』がこれまで新海監督のメインの観客とは言い難かった若い女性からの支持を集めているというデータを見れば明らかだ。
『君の名は。』という作品は監督にとってそのような意味合いのある映画であったのにも関わらず、それを批評する言葉として石田氏から相変わらず「たぶん新海さんは楽しい恋愛を高校時代にしたことがないんじゃないですか」という発言が出た。自らの作家性を「童貞臭」と自認していた彼が敢えてここで怒ったのはそれが理由なのではないだろうか?
とはいえ一方でゲスな見方をするならば、「やっぱり学生時代に恋愛できなかったのがコンプレックスだから怒ったんじゃないの?」という思いも拭えない。では、実際はどうなのか? 前掲「週刊プレイボーイ」ではこんなことも語っていた。
「コミュニカティブ(話し好き)で何人もの女のコと付き合っていたりなんてことはなかったですが、逆に女のコとの総会話時間が10分で、その鬱積を創作活動にぶつけていたとか、そういったこともなかったんですよ。残念ながら中途半端な学生生活でした(笑)。両極のいずれかに突き抜けていれば、ネタとして面白かったんでしょうけどね」
新海監督が学生時代を童貞のまま過ごしたのかどうかは本人にしか分からない。彼の怒りの真相は藪の中であるわけだが、前掲誌で彼は自身の映画についてこう語っていた。
「常に健やかな精神状態のリア充の方は、アニメを観なくてもいいんじゃないですか(笑)。僕の作品は救いを必要としていない人には不要なものかもしれません」
少なくとも、石田氏が新海監督的な「救い」を必要としていないということは明らかになった。そんな一件であった。
(新田 樹)
最終更新:2017.11.15 06:02