「平匡が拒否するというエンディングになったときに、やっぱりみんな怒っている怒り方が、メールとかを見ていると、『男なのに何やってんだ! 女性から申し込まれたそういう誘いを男がなぜ断るか?』って怒っているんだけど、それって、平匡なり、みくりなりがずっと苦しんできた“男に生まれたから”っていうレッテル、“女に生まれたから”っていうレッテル。そういうものとまったく一緒なんですよね」
星野はここからさらに議論を深め、では、これが男女逆だったらどうだろうと想像する。
「すごく分かりやすいなと思うのは、男女を反転するだけで全然怒る気持ちにならないんです。いままで彼氏がいたことがなくて、そういうこともしたことがない女性に対して『いいですよ、あなたとならしても』って男が言ったときに感じる感情って全然違うじゃないですか。怒りじゃない。それで拒否しても、全く怒る気にならない。『それはしょうがないよね』ってなる。でも、男になっただけで『お前、しっかりしろよ!』ってみんなから言われるっていうことは、それはいかにみんなが男と女というレッテルに縛られているかっていうことの証明なんですよね。だから、出演者が苦しんでいる理由は、見ている人たちの、怒った人たちの心のなかにある」
『逃げるは恥だが役に立つ』の登場人物たちは、主人公の2人以外も皆こういったレッテル貼りに苦しんでいる。セクシャルマイノリティーとして描かれる平匡の上司である沼田頼綱(古田新太)を筆頭に、平匡の後輩の風見涼太(大谷亮平)は「イケメンで異性の扱い方も上手い男はチャラチャラしていて軽い」という周囲の勝手な認識に絶望し、みくりの叔母である独身キャリアウーマンの土屋百合(石田ゆり子)は結婚や出産をめぐる周囲の圧力に苦しむ。
労働や結婚に関する問題をはじめとした「男だからこう」「女だったらこう」という勝手なレッテル貼りに対するアンチテーゼがこのドラマのテーマであることは明白で、毎週楽しみに見ている視聴者ならそのことは分かっているはず。なのに、最もプライベートな領域であるセックスの話におよんだとき、やはり性別におけるレッテル貼りの問題を噴出させてしまう。みくりの側からそういうことを誘ったってそれはおかしなことなどではないし、なんらかの理由で平匡が断ったとしてもそれは怒られることではない。ましてや、それが「男だから」「女だから」という理由などではないはずだ。
あらためて言うまでもないが、「女性は性的に受け身であるべき」「男なら性欲が強くて当たり前」といった「男らしさ」「女らしさ」は所与のものでなく社会的、文化的につくられたものにすぎない。
こういったつくられた性役割の押しつけは女性たちを長い間苦しめ、問題解決へ向けての戦いが行われてきた。それはいまでも続いている。しかし、つくられた性役割の抑圧に苦しむ構図は女性だけでなく男性も同じだ。