ただ、作家という職業に就いている人の全員が〆切破りをしているわけではない。まったく逆の作家もある程度存在する。『星への旅』など多数の著作を残した吉村昭はこう綴る。
〈小説や随筆の執筆依頼を引受けた時、私はこれまで締切り日を守らなかったことは一度もない。と言うよりは、締切り日前に必ず書き上げ、編集者に渡すのを常としている〉
村上春樹もそのひとり。彼は〆切三日前には書き上げてしまうという。それはいったん冷却期間を置き、書き直しをしてもそれでも〆切に間に合うように考えてスケジュールを立てているからだ。
〈それからクール・オフ効果というのもある。書いてすぐ原稿を渡してしまうとときどきあとで「しまった、あんなこと書かなきゃよかった」とか、逆に「そうだ、こう書きゃよかったんだ」と後悔することがあるが、三日くらいタイム・ラグがあるとそういうリスクを回避することができる。余程のベテランでもない限り筆というのはついつい滑ってしまうものなのだ。たった三日の余裕を作るだけで無意味に他人に迷惑をかけたり傷つけたり無用の恥をかくことを避けることができるとしたら、それくらい簡単なことである〉
しかし、仕事のあがりがあまりにも早いと「適当に書いているんじゃ……」と思われはしないかと被害妄想にとらわれるのが作家という生き物らしい。前述の吉村昭は〆切前に原稿を編集者に渡すときは〈早くてすみませんが……〉と書き添えていたというトホホなエピソードを自ら明かしているが、それは村上春樹も同じ。編集者たちのそんな因果な性格を彼はこのように綴っている。
〈「もう××さんには参っちゃうんだから」と編集者はグチるけれど、僕なんかが聞いていると編集者の方もけっこうそういうデッドライン・ゲームを楽しんでいるのではあるまいかという気がしなくもない。これでもし世間の作家がみんなピタッと締め切りの三日前に原稿をあげてしまうようになったら(中略)編集者の方々はおそらくどこかのバーに集まって「最近の作家は気骨がない。昔は良かった」なんて愚痴を言っているはずである。これはもう首をかけてもいいくらいはっきりしている〉
村上春樹の想像は当たっていた。作家の上林暁は、文芸編集者をしていた時代の思い出をこのように明かしている。
〈むかし私の勤めてゐた改造社の山本實彦は、面白い人だった。ある時、原稿を依頼して数日ならずして、速達で送つて来た人があつた。本来なら、〆切よりも早く届いたので喜ぶはずなのに、山本さんはそつぽを向いて、その原稿を手に取つても見なかつた。「原稿を頼んで直ぐ送つて来るやうなことで、面白い原稿が書けるはずはない。もう少し苦心しなくちやア」と言つて、軽蔑した。
またある時、マルクス主義の評論家猪俣津南雄の原稿がひどくおくれたことがあつた。山本さんは焦ら焦らしながら、「猪俣君はいつでも〆切を引つぱるなア」と憤つた。やがて土壇場になつて、猪俣さんの原稿が出来て来た、すると、山本さんは喜んだ。
「猪俣君はやつぱり苦心するなア」〉