結果、橋本のように多くの学生が、奨学金制度を利用しても「おにぎり1個」でしのいだり、バイトを掛け持ちするなどして学業に集中したくてもできないでいる。そして、橋本は“食い扶持を稼ぐ”ためにアイドルのオーディションを受けたわけだが、同じ動機でキャバクラやガールズバー、なかには風俗で働くことによって学費や生活費を賄っている学生がいるのである。
家庭の所得の差によって子どもが将来の選択肢が狭められ、苦労を強いられる。その状況を、前掲書で著者の藤田氏は〈不公正で不平等と言わざるを得ない〉とし、〈年功賃金、終身雇用のないところで、私費負担で学費をまかなうことはもはや無理だということを認識しなくてはならない〉と指摘。だが同時に、社会で一向に理解が進まない理由を、こう述べている。
〈当然のように、高等教育に対する公費負担増加や公費予算増加が必要なのだが、そのようなことは、「高等教育にかかる経費は受益者の私費負担」という感覚がしみこんだ日本では、なかなか理解されない〉
同様に、貧困問題への無理解もある。記憶に新しい「貧困女子高生」バッシングもそうだが、厳しい生活によって進学を諦めざるを得ないと話しても、「もっと我慢すればいい」「何も食べられないほど貧乏じゃないくせに」などと最低限の生活を水準にして非難する。
きっと橋本も、貧困女子高生に向けられたような言葉を投げ付けられた経験があるのだろう。そう思うのは、ドキュメンタリー映画のなかで彼女が念を押すように、こう話しているからだ。
「まあ、そんなにお金がある家庭じゃないので。『言ってもそうでもないでしょ』って思われたり言われたりすることあるんですけど、本当にそうでもあるくらい結構お金がないんで」
苦しいんだと声を上げても、「言ってもそうでもないでしょ」というマジックワードで封じ込められてしまう。貧困をめぐる議論は、こうしてなかなか先に進まない。橋本の苛立ちを隠さない言葉は、この社会の偏狭さを言い当てるものだった。
引用してきた映画のなかで、今後の夢や目標を語るメンバーのなかにあって橋本は「自分ががんばるゴールは明確」と言い、「来年度に弟の初年度入学費を全額納入」ときっぱり明言していた。夢より生活──これを「美談」ともてはやすこの国は、なんと豊かなことだろう。
(大方 草)
最終更新:2017.11.24 06:22