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蓮舫問題も仕掛けた? 安倍が重用する“官邸のアイヒマン”北村滋内閣情報官は特高警察を称賛する危険思想の持ち主

 軍部だけではなく、警察組織もまた「天皇の警察」という権威のもと、ならず者めいた行為の数々をおこなっていたのだ。しかも、こうした“でっち上げ”は警察官が勤務評定を確保するために行われていたという。

 北村氏は、こうした思想弾圧やでっち上げ、拷問を〈国民の防諜意識の涵養〉と表現しているのだ。これは戦中の警察による庶民の恐怖支配を肯定しているとしか考えられないだろう。

 さらに北村氏は、戦後、特高警察や治安維持法が廃止されたことに関しても、「占領期における空白」との章で〈防諜、国体護持、治安維持のための作用法はことごとく消滅した〉として、このように述べている。

〈一方、終戦直後の国内治安情勢は、国民的目標の喪失感に伴う道義の頽廃、食糧難、住宅難及びインフレーションと失業による極度の生活難等から、一般犯罪は多発の一途を辿った。就中、昭和二〇年一〇月一〇日、総司令部の指示によって獄中にあった徳田球一を始めとする共産党指導者が釈放されて以降、労働運動やその他の大衆運動は急速に活発化した。そして、これらの大衆運動は、戦争による破壊、一部無責任な扇動分子の跳梁、国民生活の窮乏等を反映して集団的不法行為を続発させるに至った。〉

 つまり、治安維持法がなくなり、特高警察がなくなったから不法行為が頻発した、などと無茶苦茶なことを言っているのだ。

 続けて北村氏は、〈騒然たる治安情勢に対応して〉内務省に公安課が置かれたとするのだが、しかし戦後直後の国民の窮状と混乱が他ならぬ軍部主導の戦争にあったこと、そして、大衆運動が再興したのは警察組織による戦中思想弾圧の反動であったことなどが、ここでは完全にネグられている。

 そしてなにより、サンフランシスコ講和条約発効の年である1952年に〈我が国の独立とともに再生した〉とする外事警察(=警視庁公安部等)は、まさに、戦中の特高警察の焼き直しに違いなかった。とりわけ冷戦時代が終わり、共産主義や過激派の衰退とともにその一義的な存在理由をなくしていった日本の公安警察は、予算や人員確保のために監視対象を様々に拡大していったが、これも、戦中の特高警察が勤務評定のため“でっち上げ”逮捕を行っていた事実とよく似ている。

 いずれにせよ、北村論文が如実に語るのは、いまや安倍首相の片腕であるエリート警察官僚が、戦中の言論弾圧体制を一切批判することなく、むしろノスタルジーに浸っているかのように、大衆運動や思想の取り締まりを渇望していることなのだ。

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