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ライムスター宇多丸が戦争特集で「大本営発表は今まさに進行している問題」と、安倍政権とメディアの一体化に警鐘

 ようするに、メディアは軍部の暴力的な支配に屈服したのではなく、まず、経済的利益を守るために率先して軍部に協力していったのだ。これは、読者のナショナリズム的熱狂に媚びた嫌韓反中記事をつくり、会見拒否や記者クラブから締め出されることを恐れて政権批判ができなくなっている今のメディアの姿にそっくりではないか。

 もちろん、当時はこういった状況に加え、露骨な圧力もあった。たとえば、さらにメディアを萎縮させたのが1938年の「新聞用紙供給制限令」である。
紙の供給を停止されてしまえば当然そもそも新聞を発行すること自体ができなくなる。これで権力に対するメディアの服従が完成するのだが、お気づきの通り、これも昔話ではない。

 今年2月8日の衆院予算委員会で高市早苗総務大臣が、放送局が「政治的に公平であること」と定めた放送法4条1項2号違反を繰り返した場合、「行政が何度要請してもまったく改善しない放送局に、なんの対応もしないとは約束できない。将来にわたり可能性がまったくないとは言えない」と「停波発言」をしたのは記憶に新しいが、すでに同様の政権からの圧力は始まっている。

 こうして急速に権力に取り込まれたマスメディアは一切の批判的言論を止め、ただただ大本営発表を垂れ流すだけの機関と成り果てる。その結果、当の新聞記者自身が軍の報道部員に「今日は夕刊が出ますか」などと聞くという現象まで起きた。大本営発表を新聞記者が「朝刊」「夕刊」と呼んでいたのである。また、報道部員自ら新聞記者に対し、見出しの活字の大きさなどの指示を出すことまであったという。もはや「癒着」どころの話ではない。

 周知の通り、その後はだんだんと戦況が悪くなり、大本営発表は嘘に嘘を重ねるようになっていく。そんななか、完全に体制に取り込まれたマスコミと軍部は何をしていたのか? 驚くべきことに、彼らは「宴会」をしていた。日本産業経済記者の岡田聡氏はこんな証言をしていると本書では書かれている。

「わが社でも私の在任中、春秋二回、報道部長以下を柳橋の亀清楼だの、茅場町の其角だの、築地の錦水だのへ招待した。これを在京の各社が全部やるので報道部は宴会疲れをしていたようだ」

 これまたどこかで聞いたことのあるような話である。現在、安倍政権が大手キー局・新聞社の幹部や、現場記者らと頻繁に会食を行い接待漬けにしていることは当サイトでも何度も報じ、批判してきた。しかも、「日刊ゲンダイ」の報道によると、その接待費用は「官邸もち」との話もあり、メディア側が勘定をもっていた戦前と比べ、血税からタダ酒タダ飯が出ている現在の方がより最悪ともいえる。

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