フロムの警告したことが今、まさにそのまま起きている。10年前ならただの笑い話でしかなかった不倫や未成年の飲酒、喫煙が重大犯罪のように糾弾されるようになったのは、国家やメディア、一部の道徳主義者が強制する通俗的な道徳を多くの人が内面化し、内的良心となって広がっているからだ。
彼らは小さな犯罪やどうということのない不祥事に“悪の根源”を見出し、それを叩くことでこの内的良心を満足させ、強化していく。そのことによって、さらに糾弾の声は増幅し、大きくなっていく。
そして、この道徳ファシズムの過程でエバンジェリストの役割を演じているのが芸能人だ。芸能人はスキャンダルや炎上で、大衆に道徳の内面化の契機を与え、自ら道徳を大きな声で叫ぶことでそのイデオロギーを広めていく。些細な犯罪や不祥事に「許せないこと」と憤り、自らの炎上には心からの反省を見せることで、法律や道徳規範を強固にし、震災が起きれば、大仰に同情し、活動する前に必ず「やはり僕らにできることといえば、歌を通じて、みなさんを勇気付けることしかない」などとエクスキューズを付け加えることで、過剰な自粛をうながしていく。
そういう意味では、今回のベッキーは、その道徳ファシズムの最大のスピーカー役を演じてしまったのだ。不倫イコール罪という道徳を内面化し、自分の恋を自ら「大きな罪」と言ったことで、不倫は絶対に許されないというイデオロギーはさらに強化され、結婚制度そのものへの疑問など挟む余地も無くなってしまった。
もちろん、過剰適応的な傾向が強く、自分はいい子だと自分に言い聞かせるように生きてきたベッキーに、制度への反逆を期待するのは端から無理だろうし、この状況で不倫=悪を内面化してしまったのもわからなくはない。
しかし、この道徳ファシズムの行き着く先はたんに不倫の問題だけではない。とにかくルールには問答無用で従うべきだ、ルールそのものを疑ってはならない、ルールを破ったものは徹底的に糾弾される。そういう社会ができあがりつつある。
そう考えると、やはりベッキーの責任は重い。
(酒井まど)
最終更新:2016.05.15 11:42