異なる意見をもつ者同士が議論を戦わせるのではなく、だんだんと違う考えを「スルー」するような社会になってきているのではないかと言うのだ。
昨年の安保法制では、SEALDsをはじめとした若者たちによるデモも盛り上がりを見せ、メディアでも盛んに取り上げられたが、後藤自身、そんな彼らの活動に対し、「SEALDsとか見ていると、「おじさんたちが黙っててどうするんだ」って、ちょっと恥ずかしくなりますし」と大きな共感を寄せながらも、デモでメッセージを発信する彼らを見る通行人の目線に関して感じるところがあったと語る。
若者たちのデモ活動は、確かに市民運動として近年稀に見る注目を浴びた。しかし、一方で、政治に無関心な人々からはどこか冷めた目で見られていたという面も否定できない。
「だから、最近の空気は怖いですよ。街中で「問題があるんだ!」って訴えている人がいるのに、誰も足を止めないみたいな」
「それどころか、逆に「浮いている奴を叩こう」みたいな風潮もありますよね。ニュースとか観ていてもしんどいですもん。溜め息しか出ない」
しかし、そんな状況でも、後藤は政治的なメッセージを歌詞のなかに織り交ぜたり、社会的なトピックに関する発言をし続けていくつもりだと語る。それは、後続の若いミュージシャンのためでもある。
「ただ、それでも自分が出来ることをやるしかないので。むしろ、アジカンがどメジャーのJ-ROCKバンドだからこそ、積極的に政治的な発言をするべきなのかなって。(中略)役割としては、面倒くさいことを言う人(笑)。でも、それによって「あれくらい言ってもいいんだ?」と思ってくれる人がいたら」
日本においても、かつては政治的な歌がポップミュージックとして受け入れられていた時期はあった。1960年代から70年代始めにかけて、岡林信康「がいこつの唄」、高田渡「自衛隊に入ろう」、加川良「教訓Ⅰ」など、多くのフォークシンガーたちが反戦を歌い、それらの歌はユースカルチャーとして受容された。
後藤の活動が、今の閉鎖的な音楽界の状況に風穴を開けることを願ってやまない。
(井川健二)
最終更新:2017.11.24 09:47