「つんく♂オフィシャルサイト」より
喉頭癌の発見から声帯切除、また、2014年秋をもってハロー!プロジェクトの総合プロデューサーを退いていた事実も明かしたつんく♂。
その発表で世間に衝撃を与えた彼だが、最近では早くも仕事に復帰。声が出せないため、パソコンのキーボードを通じてのインタビューで各メディアに登場し、病気のことや家族への愛、音楽への思いなどを盛んに語っている。さらに本業の音楽プロデューサーとしても見事復活。昨年は、作曲とプロデュースを担当したクミコの「うまれてきてくれて ありがとう」で第57回レコード大賞の作曲賞を受賞している。
そんなつんく♂が、1月7日「産経ニュース」のインタビューで自らの音楽人生を振り返っているのだが、そこでの発言が、彼のライバルである秋元康への批判なのではと憶測を呼んでいる。
1997年、シャ乱Qのボーカリストからアイドルのプロデュース業に乗り出すにあたって、つんく♂は自分のなかでこんなルールをつくったという。
〈まず、自分が高校生のファンだとして、「どんな問題が起こったら、そのアイドルの応援をやめるだろうか」と考えました。メンバーとプロデューサーの距離が近すぎたら、本気でむかつくだろう、もし何か間違いが起こったら発狂するだろう、と思ったので、「モーニング娘。」のシングル3~4枚目までは、テレビの同じ画面には絶対に収まらないようにしていましたね〉
また、彼は続けてこう語る。
〈プロデューサーとしては、僕なりのルールを作っていた。実力のある子や、波に乗っている子は出番を増やすし、人気があっても本人が弱っているな、と思ったら減らす。その代わり、私情では差別しない。気に入った子だけに何かを買ってあげたり、歌の割り当てを増やしたりは絶対にしなかったです〉
ロックバンドのボーカリストというまったく畑違いのジャンルからアイドルのプロデュース業を手がけるにあたって、つんく♂が自らをかたく律していたこれらのルール。しかし、なぜこの発言が秋元康への批判となるのか? それは、つんく♂が昨年出版した著書『「だから、生きる。」』(新潮社)には、結婚に関して秋元康からこのようなアドバイスを受けたとの告白が綴られていたからである。
〈秋元康さんからは「プロデュースは、教え子と結婚してこそ完結だから」みたいなことを言われた〉