さらに、キムタクが不満を感じていたのが、ギャラだ。光GENJI人気絶頂時の諸星和巳の月収が25万円だったなど、ジャニーズ事務所はギャラが低いことで有名だったが、それはSMAPも例外ではなかった。1996年にはグループの旗艦番組『SMAP×SMAP』がスタート、キムタク主演のドラマ『ロングバケーション』も社会現象になるほど大ヒット、とグループとしてもキムタク個人としても絶大な人気を確立しており、キムタクは当時年収1億でもおかしくないと思われていたが、実際には1000万円にも届いていなかったといわれる。
これでは、キムタクの不満がくすぶるのも当然だろう。噂レベルでなく、具体的に独立一歩手前までいったことがある。
1997年のこと。実はこのとき、父親名義の会社から写真集を出そうとするのだが、事務所の反対に遭う。それをきっかけに、くすぶっていた不満が爆発し、一気に独立に向けて動く。
「一部の週刊誌に報道されましたが、芸能界の実力者にも根回しし、父親名義で事務所を立ち上げ、イザワオフィスとバーニングが共同出資して後ろ盾になるという話まで決まっていたんです」(週刊誌記者)
しかし、この独立話は直前のところで回避された。ぎりぎりのところで、ジャニーズ側が大幅譲歩して、写真集も父親の会社から出ることになった。
このころのジャニーズは、まだ嵐もデビューしておらず、TOKIOもたいしたヒット曲もなければ現在のようなバラエティ展開もしていなかった。KinKi KidsやV6は人気があったとはいえ、SMAPの人気には遠く及ばない。なかでも、キムタクの人気は突出していた。やはりSMAP、キムタク抜きではバーターで新人を売っていくこともままならない。ジャニーズとしても、妥協せざるをえなかったのだろう。
実は今回、キムタクが「軋轢がない」と言っているのは、このときの経緯が関係している。ジャニーズ事務所の元関係者がこう解説する。
「このとき、ジャニーズは写真集を許可するだけでなく、破格の待遇を裏取引で約束したんです。以降、SMAPのなかでもキムタクだけがギャラの条件がまったくちがう特別扱い。恋愛や結婚に関してもキムタクの意志を尊重するという約束が取り交わされたようです」