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「売れてる本」の取扱説明書②『家族という病』(下重暁子)

『家族という病』を読んで「少年A母親責任論」と安倍政権の「伝統的家族観」を考えた

「『ゆう活』に関する次官級連絡会議」の議事概要(6月26日)に、安倍首相の腰巾着・世耕弘成内閣官房副長官の本音が漏れている。「夜遅くまで働くのは、決して日本の伝統文化ではない」「『ゆう活』を第一歩として、是非、本来の日本の豊かな生活の姿、家族の姿を取り戻したいと考えている」。そう、これが「ゆう活」の真意だ。一義は、伝統的な家族の姿をどう取り戻すかにある。個々人の生き方に選択肢を与えるような雰囲気を醸し出しながらも、少しだけ掘ってみれば、そこには真逆の狙いが見えてくる。

 下重は「国は、家族を礼讃する。戦時中がそうであったように、家族ごとにまとまっていてくれると治めやすい。地方創生というかけ声はとりもなおさず、管理しやすい家族を各地につくることに他ならない。その意味で、家族とは小型の国家なのである」と断言する。これまた乱暴ではあるが、国家の政策が、家族の種別を出来うる限り絞り込みたがっているのは確かだろう。

 ルーシー・ブラックマン事件を15年追いかけたルポルタージュを記した英《タイムズ》紙アジア編集長・東京支局長による『黒い迷宮 ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実』(リチャード・ロイド・パリー/早川書房)を開くと、外から見た日本の犯罪報道への違和感を記す場面がある。「日本では、犯罪とは加害者による単純な行為ではなく、ある意味では家族に由来するものだと考えられる傾向がある。つまり、法律的ではないにせよ、道徳的には近親者も責任を負うことになる」。

 海の外から見ると、いつもの当たり前の報道が、とても不思議なものにうつるようだ。しかし、冒頭で紹介した水谷氏の例が象徴するように、道徳的どころか法律的に罰せよと叫んでも、「うんうん」と頷いてしまう土壌がある。それゆえに、家族観について茶々を入れても、ただただ「家族を大切にしない人」と済まされることになるが、本来、家族を妄信せずに向き合うことこそ家族を大切にすること、ではないのか。説教臭い一冊だが、「私は家族という単位が苦手なのだ。個としてとらえて考えを進めたい」と貫く骨子には賛同する。その上で、伝統的な家族を取り戻そうとする安直な施策には加担したくないと強く思う。
(武田砂鉄)

■武田砂鉄プロフィール
1982年生まれ。ライター/編集。2014年秋、出版社勤務を経てフリーへ。「CINRA.NET」「cakes」「マイナビ」「Yahoo!ニュース個人」「beatleg」「TRASH-UP!!」で連載を持ち、「週刊金曜日」「AERA」「SPA!」「beatleg」「STRANGE DAYS」などの雑誌でも執筆中。近著に『紋切型社会 言葉で固まる現代を解きほぐす』(朝日出版社)がある。

最終更新:2018.10.18 03:41

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