『ドキュメント パナソニック人事抗争史』(講談社)
記憶に新しい大塚家具のお家騒動。高級路線を進む創業者で当時会長の大塚勝久氏と、カジュアル路線を進める勝久氏の長女・大塚久美子社長が経営権をめぐって対立、3月の株主総会で勝久氏が会長から退任し、久美子社長に軍配が上がるかたちとなった。
会社組織において、権力闘争は決してめずらしいものではない。大塚家具の場合は、実の親子が真っ向から対立したということでセンセーショナルに取り上げられたが、誰もが知るような大企業でも「人事抗争」が繰り広げられているのだ。
それは、日本を代表する総合電機メーカー・パナソニックでも同様だ。パナソニックで起きていた知られざる権力闘争を元役員たちの証言をもとに明らかにするのが、『ドキュメント パナソニック人事抗争史』(岩瀬達哉/講談社)だ。
パナソニックの創業者といえば、ご存知の通り松下幸之助である。日本の経済史に名を刻むカリスマ経営者だが、実は幸之助の“遺志”こそが、パナソニック混乱の大きな要因だったという。
1973年、幸之助の後を継いで松下電器の2代目社長に就任したのは、松下幸之助の一人娘・幸子の婿である松下正治だった。その後、77年に正治は会長となり、3代目社長には当時末席の役員だった山下俊彦が抜擢された。
この山下社長に対し、幸之助は会長の正治をできるだけ早く引退させるように命じていたという。前述の『ドキュメント パナソニック人事抗争史』には、元副社長の水野博之の証言が掲載されている。
「幸之助さんは、山下さんに、ポケットマネーで50億円用意するから、これを正治さんに渡し、引退させたうえ、以後、経営にはいっさい口出ししないよう約束させてくれ、とまで言うとるんですな。この話、私、山下さんから直接聞きました」
ところが、山下は正治に対し、引退勧告をすることはできなかった。というのも、そもそも山下を社長に推したのは正治である。そんな恩人をクビにすることなど簡単なことではない。