50歳近かった善三は、すでに家庭を持っていた。それでもミイとの将来を口にしていた。ミイは19歳で最初の結婚をしたが、たった二年で夫は結核で死んでしまう。ミイの父親は3歳の時に亡くなり、母親もミイの花嫁姿を観たすぐあとに死んだ。家族の縁が薄かったミイは歳の離れた善三にすがれるのが嬉しかった。
しかしミイが高田と家庭をつくる夢は叶わなかった。銀座へデートに出かけレストランで食事をした後、ミイは吐き気を催す。トイレに駆け込むと、
〈洗面所の鏡で自分の顔を見た。鏡に映る顔が、歓喜の顔にみるみる変わっていった。〉
〈「喜んでちょうだい。子供ができたらしいのよ。もう大丈夫、気持ちなんか悪くないわよ。幸せよ私。私のお腹の中に善さんの子供がいるのよ」
「そうか」
複雑な顔をした善三を、ミイは喜びのあまり読み取ることはできなかった。(中略)その晩、善三はミイを抱かずに、夜中に五反田に帰っていった。〉
その後、敏雄が生まれてからは善三がミイの元を訪れる機会は次第に減っていく。物語は敏雄と母・ミイが疎開で離ればなれになるなかで、互いに思いを募らせる逸話が中心となり、父親に関する記述はほとんどなくなる。
学童疎開先の上田に母が面会にやってきたとき、母は空襲が激化する東京を離れるときは敏雄とともに田舎へ行くために迎えに来る、と話すと〈敏雄は早く迎えに来てくれるように、アメリカの爆撃がもっとひどくなればいい〉とさえ考えるようになり、母は敏雄に甘いものを食べさせるために着物と砂糖を交換していた。母と息子は互いの孤独を互いへの依存で埋めるようにして生きていく。
やがて終戦を迎えても、空襲で巣鴨の家を壊された母と息子は茨城、秋田と疎開生活を続けた。秋田では「疎開者」と敏雄をいじめる者がいた。母が買ってくれたばかりの帽子をひったくられてどぶ川に捨てられた。敏雄は泣きながら家に帰るとナタを手に「あいつを殺してやる」と叫んだ。母とともにいじめっ子の家へ行き、凛とした声で母は抗議した。
〈「敏雄、帰ろう」外に出ると母は敏雄の手から鉈を取り上げてその手をしっかりと握って歩き出した。敏雄も母の手を握り返した。二人は手を離さずに歩いた。一本道の先に夕日が落ち始めていた。親子二人の影法師が、二人の歩く後に長く伸びて見えた。〉
その後、敏雄は高校に入学し、映画に傾倒。途中で、俳優養成所に入学し役者を目指す。その間、アルバイトとしてキャバレーやストリップ劇場でバンドのドラマーとして働き、浅草で二人のストリッパーと奇妙な共同生活を送るものの、役者としては一向に目が出ない。