もちろん、久々に会った中学生の愛娘はよそよそしい。ぼんやりとした記憶しかもたない久は、娘にこう話しかける。「オレは君と仲がよかったような気がしてたんだが、そうじゃなかったのか?」──。久は万事この調子で、読んでいるとなんとも切なくなってくる。
だが、物語が進むにつれてあきらかになっていくのは、いまは温厚な久が失った記憶である、自分の冷酷な一面だ。親友を裏切り現在の妻を略奪し、不倫関係にあったこと。年老いた両親の面倒は弟に任せきりなのに家業に口だけ挟んで、その後の責任を取りもしなかったこと。仕事上でも取引会社を無惨に切り捨て、倒産に追い込んだこと。そして、前妻と離婚にいたった、あまりに身勝手で冷淡無情な過去の真相も、久は知ることになる。
〈不思議だな。さしたる証拠もないのに、みんな自分の居場所があると信じて、一人で生きていくことができる。どうしてもっと早くに疑ってみなかったのだろう。自分の生き方を。家族との関係を〉
このモノローグに象徴されるように、作品のテーマは家族との結びつきにある。しかも、それは単純なものではない。愛情をもって接してくる妻と息子に何の感情も抱けず、なぜ家族をつづけなくてはいけないのかと葛藤する久の感情は、伝えることがむずかしいものだ。だが、作者の石坂啓は、妻と息子の顔を感情が読み取れない“能面”として描くことで、読者を久に感情移入させる。この仕掛けを、ドラマでは妻を演じる上戸彩が仮面を被ることで表現するというが、その演出はうまくいくのか。そして、地つづきにある現在の温厚な久と過去の心ない久を、木村は演じ分けられるのか。それこそ堺雅人あたりならハマリ役に違いないが、なんでも自然体演技で乗り切ってきた木村にとっては、大きなハードルになるだろう。
問題は木村の演技力だけではない。もし、制作者が色気を出して『半沢直樹』ふうに金融マンのエピソードを全面に押しだそうものなら、肝心の物語のテーマは散漫になってしまうだろう。それに、原作の肝所を外さなければ、木村のターニングポイントにもなり得る作品であることは間違いないはずだ。木村は脚本にも事細かに口を挟むことでも有名だが、はたして今回はどう出るのか。長年、タブーとしてきたリアルな父親役に挑むのだから、相当な覚悟があるのだと信じたいが……。
(サニーうどん)
最終更新:2017.12.13 09:29