しかし実を言うと、今回の問題は、映画『アンブロークン』が「反日」でないのに「反日」と認定されたことではない。問題は、この国が「反日」映画を上映できない国になってしまったということだろう。
町山氏は、『アンブロークン』でザンペリーニ氏を虐待する日本人軍曹と、大島渚監督作品『戦場のメリークリスマス』で坂本龍一扮するヨノイ大尉のルックスが瓜二つであることに触れ、こう語っている。
「『戦場のメリークリスマス』って日本兵による捕虜虐待を描いた映画だったんですが、83年に公開された時には、別に上映中止を求める騒ぎはなかった。『反日』だと騒いでいる奴はいなかったので。時代は変わったな、と思うんです」
食人についても同様だ。連中は「日本兵の食人は捏造!」とがなりたてているが、第二次世界大戦中、日本兵の一部が死んだ敵兵や同胞の肉を食べていたのは有名な話だ。米軍やオーストラリア軍の報告書にも大量に記載されているし、元日本兵自らの証言もある。
仮にこの映画が食人をテーマにした反日映画だったとしても、堂々と上映ができ、それに対して堂々と賛同も批判もできる。それが成熟した民主主義国家というものではないか。
国益に反するだの、民族のプライドを傷つけただのという理由で、映画の公開中止を強いるなんていうのは、ほとんど北朝鮮や中国と同じだろう。それとも、ネトウヨや保守メディアは日本を自分たちが大嫌いな中国のように検閲国家にしようというのだろうか。
西欧とイスラム社会の“憎悪の連鎖”が深まるなかで、「“憎しみ”を乗り越えるには“赦し”しかない」というもっとも本質的なメッセージを発した『アンブロークン』。しかし、それとはまったく逆に、“赦し”より“憎しみ”に向かっているこの国では、そのメッセージを届けることすら叶わないということなのだろうか。
(梶田陽介)
最終更新:2017.12.13 09:15