他にも〈ケア〉基盤に重点を置きすぎるあまり、リベラルが劣勢に立たされている場面はいくつもある。その典型例が冒頭でも触れた朝日報道問題だ。最近の週刊誌・論壇誌の表紙などに見られる「朝日叩き」のキャッチコピーを見れば、本書でなされている議論の写し画が浮かび上がってくる。いくつか例示してみよう。
「朝日新聞 「売国のDNA」」(文藝春秋「週刊文春」9月4日号)
「廃刊せよ! 消えぬ反日報道の大罪」(日本工業新聞社「正論」10月号)
これら「売国」「反日」の文句は、とりわけ保守が重んじる〈忠誠/背信〉の琴線に触れる。また、次のように〈神聖/堕落〉を連想させるものもある。
「堕してなお反日、朝日新聞」(日本工業新聞社「正論」11月号)
「腹の中では悪いと思っていない 「朝日新聞」偽りの十字架」(新潮社「週刊新潮」10月2日号)
他にも「週刊新潮」はこんな“秀逸な”コピーを打ち出していた。
「1億国民が報道被害者になった「従軍慰安婦」大誤報!」(新潮社「週刊新潮」9月4日号)
「被害者」という言葉は、リベラルが最重要視し、保守主義者も認める〈ケア/危害〉基盤にも訴えかけている。さらに右派論壇誌はもっとストレートな言い回しを投擲している。
「朝日新聞よ 謝ってすむ話か!」(小学館「SAPIO」11月号)
「総力大特集 朝日を読むとバカになる」(ワック「WiLL」9月号)
もはや理性もへったくれもない。いたって下品だ。しかし、こうした感情的な言葉こそが大衆に突き刺さる。ハイトの「第一原理」を思い出そう。《まず直感、それから戦略的な思考》。直感、すなわち“感情”を揺さぶらなければ大衆は思考を始めないのだ。その点、彼らの手腕はお見事としかいいようがない。