あの「夢の国」の裏側で、土下座というなんとも日本的なテーマが熱く語られ、しかも、それが「本気のあかし」として評価されていたとは驚きではないか。いや、語られていただけではない。この土下座精神はディズニーにかなり浸透していたようで、実際にゲストに土下座をしたことを自慢げに語っているディズニーのホスピタリティ本もある。
『誰もが“かけがえのない一人”になれる ディズニーの「気づかい」』(総合法令出版、12年)だ。著者の芳中晃氏はレストラン畑を中心にしてきた元ディズニー社員で、現在は某大学の観光ホスピタリティコースの准教授だ。
事件が起きたのは、オープン当初のディズニーランド。8月のお盆で大混雑のファーストフードのレストランで、まだ食事中にかかわらずトイレのため席を外したゲストのテーブルを、カストーディアルが用済みと判断し、片付けてしまったのだ。
「お手洗いから戻ってきたゲストは当然びっくりしました。やっとのことで確保したはずの“自分の席”に、見知らぬ別のゲストがすでに座っていたのですから。だいたい残しておいたフードはどこへ行ってしまったのか……驚きはだんだん怒りへと変わっていきました」
そこで対応したのが、芳中氏だった。
「暑さ、混雑、長い待ち時間……いろいろな我慢や不満が頂点に達したゲストの怒りは、半端なものではありませんでした。なかなか怒りが収まることはありません。他のゲストの手前もあるので、いったん、人目のつかないところに移動していただき、心を尽くして謝りました。最後には言われるがままに土下座をしてようやく納得していただけたのです」
芳中氏は「相手のどんな言い分も、その会社の“顔”として誠実に受け止めてこそ、多くの人の信頼を得られるのです」としめる。
土下座をしたことを披露するのも開業当時の混乱したなかでの苦労話として書くのであれば、まだわかる。だが、土下座こそ、誠実なホスピタリティとばかりに紹介してしまうのはどうなのだろう。前回、ゲストに殴られても笑顔というディズニーの驚愕の教えを書いたが、そうした奴隷労働やブラック体質も、もしかしたら土下座を尊ぶようなヤンキー的精神論が生み出したのかもしれない、と思えてくるのだ。