工藤はこれについて、文庫版『いびつな絆』の加筆部分で反論している。
「私の本について、太一は不満を持っている様子が残念でならない。(中略)私はこの本の中で、太一が首謀的な立場にはなかったことをはっきりと書いている。むしろ、見立君の捻じ曲がった方針によって、太一が生贄になるだろうとも指摘している。もっとも、私は太一に法的な責任がないとまでは思わない。太一の連絡がきっかけで事件が起きているのだから、どう考えても法的責任は問われることになる」
石元被告もまた、弁護士や証言者らの「不可解な言動」は、見立容疑者が指示しているという話を耳にしたという。それでも工藤が言うような“見立策略説”については態度を保留している。
「変な話かもしれないが、俺は見立君には何とか、俺がいつか出るその時まで逃げ続けて欲しい。今、俺が一番したいことは見立君に直接会って、あの人の口から全ての真実を聞くこと。その気持ちだけだ」(石元太一『反証』)
瓜田から暗に批難され、石元被告からは猜疑の目で見られている工藤明男の真意はどこにあるのか。彼は暴露本出版により命を狙われ、今や警察の保護措置の対象者である。今年3月15日を最後にブログとツイッターの更新が止まっており、見立側の人間に始末されてしまったのでは?といった憶測がネット上では飛び交っていた。
だが、工藤明男は生きていた。7月に突如、2作目となる『破戒の連鎖 いびつな絆が生まれた時代』を発表したのである。
本書は『いびつな絆』の前日譚にあたるものだ。時は90年代半ばにさかのぼり、“半グレ”となる前の少年時代を書き記す。現在の「関東連合」と呼ばれているもののルーツは、ある暴走族にあった。
70年代に成立し、休止状態にあった伝説的暴走族「ブラックエンペラー」。その看板を復活させ「永福町22代目ブラックエンペラー」総長を名乗ったのが、当時中学3年生の見立真一であった。そこに工藤が頭を張っていた「宮前愚連隊」ほか複数のチームが合流したことで、“暴走族・関東連合”が90年代に再活性化したとされている。
そして、暴走族・関東連合を卒業した者たちを中心とする反社会的活動こそ、昨今世間を賑わしている“半グレ・関東連合”の正体だ。警察から準暴力団と名指しされている彼らも、約20年前までは敵対する暴走族・チーマーとのケンカに明け暮れていた不良少年だったというわけだ。