脚本無視でデモ参加者をヒステリックに描いた元旦ドラマ『相棒』の脚本家・太田愛は異議を表明!
この姿勢はあまりに不誠実、いや下劣だと言わざるを得ない。ネット上では多くの人が指摘しているが、河瀨監督の下劣さは、今年の元旦に市民によるデモや抗議の場面を扱う際の指摘をおこなった脚本家・小説家である太田愛氏がコメントと比較すると、より際立ってくるものだ。
太田氏は脚本を担当した『相棒20』(テレビ朝日)の元旦スペシャル「二人」が放送された直後に自身のブログを更新。そのなかで〈右京さんと亘さんが、鉄道会社の子会社であるデイリーハピネス本社で、プラカードを掲げた人々に取り囲まれるというシーンは脚本では存在しませんでした〉と公表した。
放送では、杉下右京(水谷豊)と冠城亘(反町隆史)がデイリーハピネス本社を出たところで、非正規差別を訴える女性たちがふたりを取り囲み、拡声器で「格差をなくせ!」とシュプレヒコールする場面があったのだが、太田氏によると脚本では〈あの場面は、デイリーハピネス本社の男性平社員二名が、駅売店の店員さんたちが裁判に訴えた経緯を、思いを込めて語るシーンでした〉といい、このシーンに込めた思いと、実際の放送での演出に抱いた苦々しい思いを以下のように綴った。
〈現実にもよくあることですが、デイリーハピネスは親会社の鉄道会社の天下り先で、幹部職員は役員として五十代で入社し、三、四年で再び退職金を得て辞めていく。その一方で、ワンオペで水分を取るのもひかえて働き、それでもいつも笑顔で「いってらっしゃい」と言ってくれる駅売店のおばさんたちは、非正規社員というだけで、正社員と同じ仕事をしても基本給は低いまま、退職金もゼロ。しかも店員の大半が非正規社員という状況の中、子会社の平社員達も、裁判に踏み切った店舗のおばさんたちに肩入れし、大いに応援しているという場面でした。〉
〈自分たちと次の世代の非正規雇用者のために、なんとか、か細いながらも声をあげようとしている人々がおり、それを支えようとしている人々がいます。そのような現実を数々のルポルタージュを読み、当事者の方々のお話を伺いながら執筆しましたので、訴訟を起こした当事者である非正規の店舗のおばさんたちが、あのようにいきり立ったヒステリックな人々として描かれるとは思ってもいませんでした。同時に、今、苦しい立場で闘っておられる方々を傷つけたのではないかと思うと、とても申し訳なく思います。どのような場においても、社会の中で声を上げていく人々に冷笑や揶揄の目が向けられないようにと願います。〉
太田氏はこれまでも、『相棒』をはじめとする脚本や『天上の葦』(KADOKAWA)などの小説において、権力組織の暗部や暴走、メディアの情報統制、さらに翻弄される個人といった現在の社会状況を鋭くえぐりながらエンタテインメントに見事に昇華させ、評価を得てきた。そして今回、自身が作品に込めた思いとは裏腹に「か細いながらも声をあげようとしている人々」をヒステリックに演出されたことに対し、太田氏はわざわざ「今、苦しい立場で闘っておられる方々を傷つけたのではないか」「とても申し訳なく思います」と謝罪し、「どのような場においても、社会の中で声を上げていく人々に冷笑や揶揄の目が向けられないようにと願います」と思いを寄せたのだ。
テレビドラマや映画の世界では演出家によって脚本が変えられることは日常茶飯事だが、それでも声をあげる市民が傷つけられ、冷笑や揶揄の目が向けられることがないようにと説明と注意をおこなうという作家としての社会的責任を果たした太田氏。一方、河瀨監督は、実際に自身の作品づくりがきっかけとなり、五輪反対の声をあげてきた市民に対し実害が及んでいる状況に陥っているにもかかわらず、問題を指摘する意見を「誹謗中傷」扱いした挙げ句、いまなお“NHKの責任であって自分は知らぬ存ぜぬ”を貫き、「真摯に創作に打ち込みたい」などと宣っている。両者の姿勢を比べれば、河瀨監督はあまりに無頓着かつ不誠実であり、これで「真摯な創作」など、どだい期待できるはずもない。