はっきり言う、麻生太郎が政治家としてやってきたことは「万死に値する」
しかも、繰り返すが「万死に値する」という表現は「死ね」という意味ではまったくない上、麻生太郎の経済政策に対する正当な批評であり、これを名誉毀損だの誹謗中傷だのと批判するほうがどうかしているとしか言いようがない。いや、もっと言えば、麻生太郎を批判するのに「万死に値する」などという表現では全然足りないくらいだ。
実際、このコロナ禍で生活に困窮する人が増加しているというのに、自民・公明の与党は「18歳以下の子どもに現金5万円とクーポン券5万円相当を支給する」というトチ狂った案で合意。だが、このようにいますぐに支援が必要な人の存在をないものにした政策は、麻生太郎の存在が大きく影響を与えている。
事実、麻生氏は昨年の一律現金給付について「お金に困っている方の数は少ない」「個人の貯金に回っただけ」などと言い、厳しい生活を強いられている国民を無視。また、当初は一律現金給付を否定して、「商品券とかいうものは貯金には(お金が)あまりいかないんだよね」と発言していた。今回のクーポン券を配るという愚策も、こうした麻生氏の「なんとしてでも貯金させない」という強い意思が働いているのである。
そして、麻生太郎は、何度となく国民の「生存権」を真正面から否定してきた。老後を心配する高齢者について「いつまで生きているつもりだよ」と発言したり、「たらたら飲んで、食べて、何もしない人(患者)の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」「飲み倒して運動も全然しない(で病気になった)人の医療費を、健康に努力している俺が払うのはあほらしくてやってられんと言っていた先輩がいた。良いことを言うなと思った」などと国民皆保険制度を否定するようなことを繰り返し発言してきた。
さらに、1983年には「婦人に参政権を与えたのが最大の失敗だった」などと発言したことも有名だが、福田淳一・元財務事務次官セクハラ問題では「はめられた可能性は否定できない」などと被害者女性があたかもハニートラップをしかけたような二次加害そのもののデマを口にしたり、「福田の人権はなしってわけですか」「セクハラ罪っていう罪はない」「殺人とか強制わいせつとは違う」と加害者である福田元次官を擁護。2018年11月には元民主党の北橋健・北九州市長にかんして「人の税金を使って東大へ行った」と述べ、教育への公的支出を否定した。また、2019年には「いかにも年寄りが悪いという変な野郎がいっぱいいるけど、間違っていますよ。子どもを産まなかったほうが問題なんだから」と発言し、麻生氏が首相在任中だった2009年には、学生から“若者には結婚するお金がないから結婚が進まず少子化になっているのでは?”と問われると「金がねえなら、結婚しないほうがいい」「稼ぎが全然なくて尊敬の対象になるかというと、よほどのなんか相手でないとなかなか難しいんじゃないか」などとも発言した。
国民の健康と安全を守るべき立場にありながらその生存権を否定し、女性を貶め、男性に“経済的強者であることが男の価値”などと押し付け、教育の公的支出にさえケチをつける──。選挙中の「温暖化のおかげで北海道の米がうまくなった」発言をはじめ、麻生太郎の暴言を振り返ればキリがないが、つまり麻生太郎の政治家としての歴史は、国民に暴言を吐いて踏みつけにし、傷つけ、その政策で国民の命を危険にさらしてきたのだ。
これを「万死に値する」と評して、一体なんの問題があるだろう。むしろ、この機会に、麻生太郎がそう言われて当然の愚策と暴言を繰り返してきたことのほうを問題にすべきだと言っておきたい。
(編集部)
最終更新:2021.11.11 10:41