子どもの貧困を矮小化し、「給食費未納はモラルの問題」と捻じ曲げた文科省の恣意的な調査
これは文科省による平成28年度「学校給食費の徴収状況に関する調査」の結果で、問題の未納の原因について調査した項目は「児童生徒毎の未納の主な原因についての学校の認識」というもの。ここではたしかに「保護者としての責任感や規範意識」が小学校で64.6%、中学で75.8%であるのに対し、「保護者の経済的な問題」は小学校で21.2%、中学で14.7%となっている。
しかし、注目してほしいのは調査項目名だ。その名のとおり、これは「未納の主な原因についての【学校の認識】」であって、保護者に聞き取りしたものではないのだ。この「学校給食費の徴収状況」という調査自体、対象は“学校給食(完全給食)を実施している全国の公立小学校・中学校から抽出した527校”。つまり、学校に対しておこなったものなのである。
実際、この調査の問題点について、跡見学園女子大学の鳫咲子教授は〈文部科学省が発表したデータを確認すると、「モラル」の問題と決めつけることには無理がある〉とし、こう言及している。
〈学校が保護者の生活水準を判断する材料は、「高い車に乗っている」「高級ブランド品を持っている」など見た目に限られる。見た目の判断だけで、その家庭の事情がすべてわかるわけではない。〉(共著『子どもの貧困と食格差』大月書店)
また、鳫教授はこの文科省調査では給食費の未納率が〈常に中学校の未納率が高い〉ことを指摘。〈中学生の保護者は小学校の保護者よりモラルが低いと考えるのは不自然であり、モラルの問題というより、中学校に入り子どもにかかる費用が増加したために、払えなくなった人が多くなったと考えるべきである〉とし、同時に〈実際にいわれているほど多くはないが、経済的な問題がないのに給食費が払われない場合には、ネグレクトなど他の問題のシグナルと考える必要がある〉とも述べている。
つまり、この文科省調査は給食費未納を貧困問題ではなく親の責任に押し付けようとする、恣意的なものと言わざるを得ないのだが、同調査がはじめて実施された2007年以降、調査結果をもとにして「給食費を払えるのに払ってない親がいる」「親のモラルが崩壊している」などという「給食費未納親バッシング」をメディアが繰り広げてきたのだ。調査結果がはじめて公表された2007年1月、新聞全国紙は社説でこんな見出しを掲げている。
「学校給食費「払えるのに払わない」無責任さ」(読売新聞2007年1月26日)
「学校給食費「払わない」は親失格だ」(朝日新聞2007年1月28日)
「給食費未納が示すモラル崩壊」(日本経済新聞2007年1月28日)
「給食費滞納「払えても払わぬ」は通らぬ」(毎日新聞2007年1月26日)
「給食費未納 学校を軽んじてはならぬ」(産経新聞2007年1月26日)
このように、リベラルメディアである朝日新聞でさえ「親失格」などと未納親バッシングを展開していたわけだが、重要なのは、この文科省による恣意的な調査がおこなわれたのが、第一次安倍政権下だったということだ。
しかも、安倍首相が設置した「教育再生会議」は、この給食費未納問題を利用し、「親の教育が必要」だと主張。「親学」の義務付けへと結びつけようとしていたのだ。
親学とは、本サイトでも繰り返し指摘しているとおり、日本会議の中心メンバーである高橋史朗氏が提唱する教育理論で、「児童の2次障害は幼児期の愛着の形成に起因する」などと主張するもの。教育の責任を親とくに母親だけに押し付け、“子どもを産んだら母親が傍にいて育てないと発達障害になる。だから仕事をせずに家にいろ”という科学的にはなんの根拠もないトンデモ理論だ。こんなものを「教育再生会議」は政府として推奨しようとしていたのだが、そこで持ち出されたのが給食費未納問題だった。
たとえば、提言をあつかっていた教育再生会議の第2分科会が2007年4月17日におこなった会議では、有識者メンバーだった義家弘介氏がこう述べている。
「給食費未納の問題では、給食を食育の授業時間と捉えるなど位置づけを明らかにすることが重要である。お金を払っている以上「いただきます」を言う必要はないと主張する親がいるのは疑問。連帯保証書をとる自治体もでるなど事態は深刻である。(中略)義務教育を、国が義務を負う教育だと、はき違えている親がいるが、子供に教育を受けさせる親の義務である。親学研修の義務づけなど、思い切った提言を行いたい」(議事要旨より)
子どもに教育を受けさせる義務は保護者だけではなく国・政府にもある。教育を受ける権利を保証するのは近代国家として当然の責務だし、その範囲の解釈は分かれるものの義務教育は無償と憲法にも定められている。給食を授業時間と捉えると言うなら、それこそ国が払うべきだろう。はき違えているのは、一体どちらなのか。