テレビ朝日公式サイトより
また安倍首相の無策ぶりが露呈した。今年1年間に生まれた子どもの数を示す「出生数」が初の90万人割れとなる見通しが発表されたことを受けて、安倍首相は26日、「国難とも言える状況」と認識を示し、少子化対策を進めるよう指示したからだ。
「国難とも言える状況」って、少子化問題は何十年も前から叫ばれてきたし、だいたい2017年には突然、少子高齢化を「国難」認定して臨時国会の冒頭解散を強行したではないか。その上、この2年間、少子化対策として早急な対応が叫ばれていた待機児童解消のための保育士の待遇改善はおろか、少子化の根本的な要因となっている非正規雇用増加という不安定就労や男女の賃金・就労機会の格差問題などを放置してきたのはどこの誰だ、という話だろう。
しかも、この国では、なんでもかんでも「親のせい」「親の問題」だのと自己責任の問題として押し付ける傾向が高まっている。正当に守られるべき子どもの権利の問題が「親の責任」に転嫁されることで、子育てしづらい環境が生み出されているといえる。
とくに最近、耳を疑ったのは、14日に放送された『松岡修造の「聞いてください! 先生も悩んでます」』(テレビ朝日)で展開された、学校給食費をめぐる議論だ。
番組では、現役の学校教員の悩みを取り上げ、スタジオで徹底討論するという構成だったのだが、そこでテーマのひとつとしてあがったのが、「給食費の未払い」問題。「いまも給食費の未納者はいます」「経済的にもモラル的にも低い家庭ほど、給食費など払わないのにスマホは買い与える」などという公立小学校教員からのコメントが流され、VTRでも「文科省の調査では41.6%の小学校で、54.5%の中学校で給食費未納の生徒がいることが判明。金額に換算すると年間およそ26億円に」などと説明。給食費の回収のため、教員が親に“取り立て”に行くという業務が発生していると紹介した。
小・中学校で約50%も給食費未納の児童・生徒がいるということは、いかに子どもの貧困が深刻化しているかを示しており、由々しき問題だ。しかも、それを教員に借金取りのように取り立てさせているというのは、給食費が払えないという親や子どもに「恥」という概念を刷り込ませようとする、教育現場に絶対に持ち込んではならない行動ではないか。
しかし、VTRでは「給食費を支払う気がない親がいる」ということが強調され、スタジオトークでは「親の責任放棄」という問題にすり替えられた。実際、スタジオでは、滝川クリステルが「もう借金取りのような気持ちになった経験、先生たちありませんか?」と尋ねると、公立小学校の教員である男性が「やっぱり電話かけづらいですね」「すぐ払いますとは言ってくれるんですけどね」「そう言ってなかなか払ってくれないこともあります」などと証言。劇団ひとりが「それって、わからないかもしれないけど、払いたくないから払ってないって感じなんですか?」と質問し、教員が「踏み倒す……。お兄ちゃんでいけたから弟もみたいな感じは、まあまあ」と答えると、スタジオは呆れ返ったような空気に包まれた。
しかも、ここで滝川は「どうしてね、給食費未納問題なんですが、昨年発表されたこの調査結果があります。この調査では払えるのに払っていないという保護者が小学校で64.6、中学では75.8%も払っていない」と文科省の調査結果を紹介すると、長嶋一茂がこう憤慨した。
「これはね、弁護士マターだと思いますよ。僕はっきり言うと。言葉は悪いけど、親のまあ義務責任を果たさないがための、子どもたちが無銭飲食っていう結果になってるわけですよ。だって払えるのに払えないんだから、司法が介入して払いなさいっていう国の命令が降りれば、払わざるを得ないわけですよ」
さらに長嶋は、取り立ての経験があると話す公立小学校教員に対し、「だから先生が親御さんに電話して払って下さいなっていうのも、必要まったくないと思わないでしょ、そう思わないですか? 自分の範疇ですか?」と質問。教員が「まぁ、やってるあいだは何してるんだろうって思いますね」と答えると、「言葉がね、いま穏便な言い方だけども、ふざけんな!ってことでしょ? それでいいんですよ」と畳み掛けたのだった。
結局、このコーナーは松岡修造による「給食っていうのが、(「給」の字は)みんなが一緒に同じものを合わせていく。そう考えると僕はこの給食って、“究極”の“究”食じゃないかなと思うんです。だからこそ、みんな。給食で人を良くしてこうぜ」という雑な提案でまとめられて終わったのだが、ようするにこの番組では、給食費未納問題を子どもの貧困の問題ではなく、「支払い能力のある親が給食費を踏み倒している」と煽るだけだったのだ。
まったく、とんでもない“親バッシング”と言わざるを得ない。とくに悪質なのは、滝川が紹介した「払えるのに払っていないという保護者が小学校で64.6、中学では75.8%」という調査結果を持ち出したことだ。