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しんゆり映画祭で慰安婦を扱う『主戦場』が上映中止になった理由! 極右論客の訴訟、川崎市が伝えた懸念、あいトリ事件の影響も

『主戦場』上映中止判断の背景に、恐怖と自主規制が進む社会状況

 慰安婦問題を扱ったドキュメンタリー映画をめぐっては、昨年以降、神奈川県内の複数の上映会をおこなった『沈黙-立ち上がる慰安婦』(朴壽南監督)に対し、ネット右翼による組織的な役所への抗議や、自民党会派の市議会議員らによる攻撃、右翼団体が上映会場に押しかけて妨害を図る、といったケースが相次いだ。そして、京都アニメーションの放火殺人事件や登戸通り魔殺人事件など、理不尽かつ凶悪な事件も発生する社会状況のなか、「平和の少女像」を展示した「あいちトリエンナーレ」では「ガソリン携行缶を持ってお邪魔する」との脅迫FAXが送りつけられた。

「しんゆり映画祭」事務局は、共催者である川崎市から「大丈夫か」との「懸念」を伝えられ、あらためて「最悪の事態」を想定し、中止の判断へと傾いていった。映画祭事務局の担当者は「作品自体は私たちも当初決定をして、上映しようと思っていた作品ですので、ぜひ(中止は)避けたいなという思いがあったなかで、今回、本当に、あの、忸怩たる思いなんですが……本当に、もっと考えれば、いろいろ別の方法、別の判断もあったかもしれないなというところはちょっと、思う部分でもございます」と言葉を詰まらせていた。

「しんゆり映画祭」の主催である事務局と、共催者である川崎市が説明する『主戦場』の上映中止の理由は表向きこそ“訴訟リスク”だが、問題の背後には、恐怖と自主規制を生み出す社会状況がある。

「慰安婦」をめぐる表現が攻撃の標的となり、タブー化していく社会。右派が起こした裁判によって、表現の場を縮小させてしまう風潮。目下、安倍政権下は極右歴史修正主義にお墨付きを与えている。「お金をもらっているのだから行政の言うことを聞け」なる暴論に違和感を持たない人々も、着実に増えている。このままだと、表現の自由がますます後退させられるのはもちろん、政治権力に睨まれそうなものを市民が忖度し、自主規制するという状況が加速していく。とりわけ、権力の批判や日本の加害事実に言及する表現は潰されてしまうだろう。

 それは、多様な表現を受け取る私たちの自由が、無自覚なまま制限されることを意味している。いま、この状況の異様さに声をあげなければ、同じことは何度でも繰り返される。決して、他人事ではいられないのだ。

最終更新:2019.10.27 07:41

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