ネット上で批判を受けた柴山大臣は「昼休みに政治の話」を選挙運動と決めつけ反論
この柴山文科相の行為には当然、Twitter上で〈高校では友人同士で話をする内容まで規制されるんですか?〉〈若者の政治離れを後押しする文部科学大臣〉〈今の政権は国民に真面目に政治に向かい合われると色々と不都合だという事情が赤裸々に溢れだしている御発言ですね〉〈高校生が昼休みに話してる内容が野党批判だったら褒めるんだろ〉と非難が殺到した。
さらに柴山文科相の高校生を恫喝したツイート問題を「WEB女性自身」が記事で取り上げると、柴山文科相は高校生と高校教員のやりとりを引き合いに出し、このように投稿したのだ。
〈学生が旬の時事問題を取り上げて議論することに何の異論もない。しかし未成年者(18歳未満に引き下げられたが高3はかなりが含まれる)の党派色を伴う選挙運動は法律上禁止されている。ここをどう考えるか、責任あるメディアはもっと慎重に取り上げるべきでないのか?〉
柴山文科相が悪質なのは、政治活動=選挙運動と混同していることだ。公選法137条の2は《年齢満十八年未満の者は、選挙運動をすることができない》としているが、政治活動を禁じてはいない。高校生が署名やデモ、集会に参加する自由は憲法や子どもの権利条約で保障されている。ましてや、高校生が昼休みに政治の話や安倍政権に対する問題点について語り合うことが「選挙運動」に当たるはずがない。
いや、むしろ〈未成年者の党派色を伴う選挙運動は法律上禁止されている〉と言うのなら、問題なのは、安倍自民党のCMほうだ。
というのも、安倍自民党は先の参院選に向けた広告展開で、ダンスやBMX、落語やファッションなどさまざまな分野で世界を目指す13〜17歳の表現者たちを登場させ、その10代の若者たちの輪に安倍首相が加わり「未来をつくりたい」と宣言するというCMを流した。これは〈未成年者の党派色を伴う選挙運動〉ではないのか。
にもかかわらず、柴山文科相は挙げ句、NHKの「ドイツの政治教育と中立性」という記事にリンクを張って、〈こうした取組みを成熟させることこそが肝要。先に述べたようなやり取りとは雲泥の差〉などと言い出したのだ。
だが、これもブーメランとしか言いようがないものだった。NHKの記事では、こう書かれているからだ。
〈ドイツの政治教育が目指しているのは、何よりも一人ひとりが自分の意見を持つことです。意見を持たない人は、政治に主体的に参加することができません。(中略)その結論については、人権や民主主義などの憲法の理念に反しない限り、尊重される必要があります。〉
〈(ドイツでは)個々の教員も市民である以上、自分の意見を表明するのは当然であるという理解がまずあります。中立性は、厳密な意味では、学校の設置者である政府や地方公共団体に対して求められるものです。〉
〈(ドイツでも個々の教員が)自分の意見を生徒に押しつけることのないよう期待されています。とはいえ、それは教員が自分の意見を述べることを制限するものではありません。つまり、教員が授業のなかで自分の意見を述べることが生徒の意見形成を妨げるとは考えられていないということです。〉