天皇批判の小堀宮司を推挙したのは安倍首相の最大のブレーンだった
そういう意味で、小堀氏が靖国宮司に就任し、天皇の靖国参拝実現に血道をあげたのは偶然ではない。複数の神社関係者によると、小堀氏を靖国宮司に直接推したのはJR東海の葛西敬之・名誉会長だったという。
葛西氏といえば、安倍首相の最大の後ろ盾と言われる財界の実力者で、ゴリゴリの改憲右派として知られている。
つまり、小堀氏は安倍政権を支える戦前回帰右派の総意として、宮司に就任し、動いていたのではないか。先の戦争を完全に肯定し、靖国神社をたんなる慰霊施設でなく“国家のために命を捧げる国民”を生み出す装置として再構築したいという勢力の意を受けて、天皇の靖国参拝を実現しようと奔走したのではないか。
安倍首相は、2014年には、A級戦犯として処刑された元日本軍人の追悼法要に自民党総裁名で哀悼メッセージを送ったこともある。連合国による裁判を「報復」と位置づけ、処刑された全員を「昭和殉難者」として慰霊する法要で、安倍首相は戦犯たちを「自らの魂を賭して祖国の礎となられた」と賞賛したという。
こうしたことを考えると、安倍首相をはじめとする戦前回帰派はA級戦犯を合祀した靖国神社にこそ、明仁天皇に参拝させ、A級戦犯の完全復権をオーソライズさせることまで考えていた可能性もある。
吐き気を催すようなグロテスクな動きだが、しかし、連中はこれからも天皇靖国参拝実現を決して諦めることはないだろう。
実際、安倍政権の周辺にいる応援団、極右文化人たちの天皇の靖国参拝への妄執は、前述した昭和天皇の靖国批判が記された富田メモが発見された際の対応を見れば明らかだ。
たとえば、ジャーナリストの櫻井よしこ氏は、富田メモを否定するためにデマまで振りまいた。
「週刊新潮」(新潮社)の連載で〈そもそも富田メモはどれだけ信頼出来るのか〉(2006年8月3日号)とその資料価値を疑い、さらにその翌週には、3枚目のメモの冒頭に「63・4・28」「☆Pressの会見」とあることを指摘、〈4月28日、昭和天皇は会見されていない〉〈富田氏が書きとめた言葉の主が、万が一、昭和天皇ではない別人だったとすれば、日経の報道は世紀の誤報になる。日経の社運にも関わる深刻なことだ〉(2006年8月10日号)と騒ぎ立てたのだ。
しかし、実際には「63・4・28」というのは富田氏が昭和天皇と会った日付であって、「Pressの会見」はそのときに昭和天皇が4月25日の会見について語ったという意味だ。ようするに、櫻井氏は資料の基本的な読解すらかなぐり捨てて、富田メモを「世紀の誤報」扱いしていたわけである。