維新の「勝つまでジャンケン」「親の一人勝ち総取り」は街場の大阪人が一番嫌う
橋下徹氏が「2万%ない」と言いながら大阪府知事に立候補し、「今までグラサンに茶髪。皆さんと同じなんです」と演説したとき、わたしは「うまいこというなあ」と思ったが「同じて、どういうことや。この人は街場の人やない、やっぱりメディア側や」と思った。
知事就任そして「維新の会」をつくり本格的な政治家となったその後は、「タレントの皮を被った政治家」よろしくメディアできわどい発言をぶっ放す。それが煽動、虚言、騙し、デマ……。またそのような言動を非難されると巧妙にかわしたり、「おかんにさんざん怒られた」などとあとで撤回する。
わたしは「おもろい言い方かもしれんけど、シャレにならんわ」とメディアを知り尽くした上での悪質さを確信した。
「視聴率」「見出し」こそがすべてのメディアとの共犯関係で、地下鉄でも水道でも公園でも売れるものは売って利益にしてしまえ、という自らのリバタリアン的政治を推し進めていく。役所や新聞メディアといったわかりやすい共通の敵をつくりだし、順番に「ここがおかしいから潰す」「次はこれだ」と攻撃する。
橋下氏が大阪府知事に就任してからすでに10年以上たって、維新はそれをDNAとして取り込み、マスメディアからTwitterへと装置を増幅し、それに選挙という政治的手法をリンクさせ、再び大阪に二者択一を迫ってきた。
しかし、一度は否決された「大阪都構想」に対しての「勝つまでジャンケン」「親の一人勝ち総取り」は街場の大阪人が一番嫌うところではないか。
街ネタを扱い続けているわたしが「出来れば政治とは関わりたくない」と思ってきたのは、かけがえのない街場で「友だちを無くしたくない」と考えてきたからだ。
けれど、維新だけは別だ。維新の政治じたいが「日常の人付き合いをこわす」ものだからだ。
そんなときに、吉富有治氏に出会った。「維新を支持する人が多いのはなぜか」という問題に、わたしのようにうんざりせずに、国政と府と市で気持ち悪いことになっている自民党や公明党の問題点やTwitterの書き込みの問題点などを含め、時系列を追いながら、地べたを這うような筆致で書き続ける。そんな吉富氏の本を作りたいと思った。それが『緊急検証 大阪市がなくなる』(140B)だ。
この本が出版されたきっかけはFacebookである。クロス選で吉村洋文府知事、松井一郎市長当選から3日後の4月10日に、何の前触れもなく吉富氏がFacebook上で連載を始めた。もちろん選挙の総括と大阪都構想の今後についてのことである。
その連載が始まる前、選挙戦が始まるやいなや、吉富氏は今回の維新が仕掛けた選挙についての書き込みを始めていた。大阪府市民への悲痛なまでのメッセージに、わたしは「なるほどそういうことか」と思って興味深く読んでいた。
連載が始まり「お、これは吉富さんやる気やな」と思ったわたしは、「これ速攻で本にしませんか」とFacebookにメッセージした。即座に「こんなん本になるんでしょうか?」と返ってくる。
「絶対いけますよ」と96ページのボリュームと税別800円の体裁イメージ、タイトルや装丁のアイデアも一緒に送ったところ、「実は次回以降の10回分ぐらいまとめてますよ」と返信があった。書かずにはいられなかったのだろう。
その2日後にはもう13回分の原稿がMessengerを通じて送られてきた。そのままFacebookのやりとりで、ゴールデンウィーク前に原稿をあげて、松本創氏(『誰が「橋下徹」をつくったか──大阪都構想とメディアの迷走』著者)との対談も巻末に入れる、と勝手に決めて突っ走った。