「WGIP」は“洗脳”でも“体系的な施策”でもない、右派の陰謀論だ
さらに、最大の問題点が、戦後の「WGIP洗脳」にかんするくだりだ。『日本国紀』はこう書いている。
〈もう一つ、GHQが行った対日占領政策の中で問題にしたいのが、日本国民に「罪の意識」を徹底的に植え付ける「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(WGIP:War Guilt Information Program)である。これはわかりやすくいえば、「戦争についての罪悪感を、日本人の心に植え付けるための宣伝計画」である。
これは日本人の精神を粉々にし、二度とアメリカに戦いを挑んで来ないようにするためのものであった。東京裁判もその一つである。そして、この施策は結果的に日本人の精神を見事に破壊した。〉
〈何より恐ろしいのは、この洗脳の深さである。GHQの占領は七年間だったが、それが終わって七十年近く経った現在でも、多くの日本人が「戦前の政府と軍部は最悪」であり、「大東亜戦争は悪辣非道な侵略戦争であった」と無条件に思い込んでいる。〉
ようは、日本人はこの「WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)」なるGHQの施策によって、“日本は侵略戦争をしていない”などの“(右派の言う)正しい歴史認識”ができなくなってしまい、現在でも“すべて日本が悪かった”なる「洗脳」が解けていない、というのが『日本国紀』の主張なわけだ。
しかし、これ、はっきり言って“陰謀論的解釈”以外の何ものでもない。とくに、WGIPが「日本人の精神を粉々」「日本人の精神を見事に破壊」(百田)したというのは、事実と照らしてありえないと断言できる。
「WGIP」なる言葉は、1989年に保守系文芸評論家の江藤淳が『閉された言論空間 占領軍の検閲と戦後日本』(文藝春秋)で持ち出したのが始まりだ。保守論壇では、GHQの傘下組織で占領国民への広報・教育を担当していたCIE(民間情報教育局)が戦争についての罪悪感を日本人に植え付けるために実施したということになっている。
右派界隈ではこの概念が雪だるま式に膨れ上がり、高橋史朗・明星大学教授らによって「日本人の精神的武装解除計画」とか「マインドコントロール計画」などとおどろおどろしく展開されたり、WGIP=日本国憲法と主張する者も登場するなど(関野通夫『いまなお蔓延るWGIPの嘘』自由社)、もはや定義もへったくれもなく濫用されていると言っていい。
だが、実のところ、その論は保守派の歴史学者である秦郁彦氏ですら“過大評価”と見なしているものだ。
〈江藤は「戦後日本の歴史記述のパラダイムを規定するとともに、歴史記述のおこなわれるべき言語空間を限定し、かつ閉鎖した」と、高橋史朗は「日本人へのマインドコントロール計画」と評すが、果たしてそんな大それたものだったのか。〉(秦郁彦『陰謀史観』新潮社)
たしかに、保守・右派論壇で語られているWGIP論は江藤淳のそれも含めて、ほとんど学術的根拠の希薄な、妄想に近いシロモノだ。CIEは先の戦争の実態と犯罪性、それを引き起こした軍国主義者の責任を日本国民に周知させることを方針としていが、それは「洗脳計画」などと呼べるものではなかった。「War Guilt」という言葉も、CIE設立指令などの文書に出てくるが、「戦争への罪悪感」というより「戦争の有罪性」や「戦争責任」という意味合いである。
昨年、名城大学非常勤講師の賀茂道子氏が膨大な資料をもとにWGIPの詳細な実態を分析した『ウォー・ギルト・プログラム GHQ 情報教育政策の実像』(法政大学出版)という研究書を出版した。賀茂氏はGHQ定期報告書にWGIPの開始理由が書かれていると指摘している。それはこのようなものだ。
〈占領軍が進駐した当時、日本人の間では「戦争の有罪性(War Guilt)」に関する意識が希薄だった。戦争を開始した理由も、敗れた理由も、兵士による虐殺も知らず、贖罪意識がほとんどなかった。日本が敗れたのは単に産業と科学の劣勢、そして原爆投下のせいだ広く信じられていた。停戦を発表した「終戦の詔勅」では、日本の戦争開始の国敵を再確認していた。これをこのまま放置していたのであれば、将来的に再度の侵略戦争を正当化する理由を与えてしまうとの危惧があった。〉
そして、賀茂氏は、WGIPについて〈一貫して真実の提示をモットーとし、隠された事実を日本国民に開示した〉と分析している。