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天皇在位式典で三浦大知が歌う「歌声の響」は明らかに天皇、皇后の沖縄へのメッセージだ! 天皇が作詞に込めた意味

天皇皇后が一貫して語ってきた安倍政権とは真逆の「沖縄に寄り添う姿勢」

 しかも、周知の通り、天皇・皇后は沖縄への旅を続け、昨年の訪沖で実に11回を数えた。会見などでも繰り返し沖縄に言及している。

 たとえば、沖縄で米軍による少女暴行事件が起こった翌年の1996年には、誕生日会見で「沖縄の問題は、日米両国政府の間で十分に話し合われ、沖縄県民の幸せに配慮した解決の道が開かれていくことを願っております」と、日本政府でもなく米国政府でもなく、沖縄県民の側に立つと明言した。

 また、2003年の誕生日会見では「沖縄が復帰したのは31年前になりますが、これも日本との平和条約が発効してから20年後のことです」と切り出し、自らのルーツにも触れながらこう語っている。

「このような沖縄の人々を迎えるに当たって日本人全体で沖縄の歴史や文化を学び、沖縄の人々への理解を深めていかなければならないと思っていたわけです。私自身もそのような気持ちで沖縄への理解を深めようと努めてきました。私にとっては沖縄の歴史をひもとくということは島津氏の血を受けている者として心の痛むことでした。しかし、それであればこそ沖縄への理解を深め、沖縄の人々の気持ちが理解できるようにならなければならないと努めてきたつもりです。沖縄県の人々にそのような気持ちから少しでも力になればという思いを抱いてきました」

 2013年の4月28日、安倍首相の肝入りで行われた「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」にあたっては、政府側の説明に対し「その当時、沖縄の主権はまだ回復されていません」と反論し、出席に難色を示していたという逸話も残っている。

 そして、安倍政権が辺野古新基地建設の強行などで、沖縄差別を強めるなか、天皇は、昨年の誕生日に際した会見で、あらためて「沖縄に心を寄せていく」と訴えたことも記憶に新しいところだ。

 明仁天皇は、1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約の発効(本土の主権回復)から沖縄の復帰までに20年の歳月を要したことを振り返ったうえで、「沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました」と、本土から見捨てられてきた沖縄の歴史を強調。「皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました」と続けたあと、声を震わせ、会見場を見やりながら、こう力を込めたのだった。

「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません」

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