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“平成最後の誕生日会見”で明仁天皇は何を語るのか? 安倍政権の圧力をはねのけ平和や沖縄への思いを語る可能性も

平成最後の誕生日会見で明仁天皇は何を語るのか? 安倍政権の圧力をはねのけ平和や沖縄への思いを語る可能性もの画像1
宮内庁HP「天皇陛下お誕生日に際し(平成29年)」より


 来年4月末日をもって退位する明仁天皇が明日23日、天皇として最後の誕生日を迎える。そんなか、注目が集まっているのが、誕生日会見で天皇が何を語ったのか、だ。

 周知のように、恒例の誕生日に際した記者会見そのものはすでに行われており、明日の天皇誕生日当日に、新聞やテレビで一斉に解禁される。

 しかし、会見の中身に注目が注がれるのは、それが“平成最後の誕生日”だからというだけではない。明仁天皇が、第二次安倍政権発足以降、“戦争のできる国づくり”を進める政権に警鐘を鳴らしているとしか考えられない、踏み込んだ発言を行なってきたからだ。

 もともと、リベラルな考え方の持ち主と言われる明仁天皇だが、実は、平成2年以降の誕生日会見を振り返ってみると、記者から具体的に社会情勢や政治的な話題についての質問が飛んでも、一般論を短く話すか、一言か二言、憲法や平和、民主主義についてふれる程度だった。いうまでもなく、日本国憲法第4条で「天皇は、国政に関する権能を有しない」とあり、後述するように、それを明仁天皇自身も重々承知しているからだ。

 ところが、その明仁天皇の誕生日会見に“変化”が起きたのが、第二次政権の誕生から丸1年が経とうとしていた、2013年のことだった。前年の衆院選公約で「国防軍の明記」を盛り込んだ改憲案を掲げた安倍自民党は、政権を奪取し、その動きを本格化させていた。

 そんななか、傘寿を迎えた明仁天皇は、記者からその80年を振り返っての感想を尋ねられ、「やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです」と語り、こう続けたのである。

「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います」

 日本国憲法を「平和と民主主義を守るべき、大切なもの」と最大限に評価した、明確な“護憲発言”だ。

 しかも、明仁天皇はわざわざ憲法制定過程における「知日派の米国人の協力」に言及していた。これは、右派の言う「米国による押し付け憲法」なる批判を牽制したものとしか思えなかった。安倍首相は2012年に党のネット番組で「みっともない憲法ですよ、はっきり言って。それは、日本人が作ったんじゃないですからね」と日本国憲法を罵倒していたが、明仁天皇の誕生日会見での発言は、それと真っ向から対峙するものだったのだ。

 また、同じ2013年の誕生日会見のなかでは、記者から「皇室の活動と政治との関わりについての論議が多く見られましたが、陛下は皇室の立場と活動についてどのようにお考えか」という質問もあった。

 これに対して明仁天皇は「日本国憲法には『天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない』と規定されています。この条項を遵守することを念頭において、私は天皇としての活動を律しています」とした上で、「今後とも憲法を遵守する立場に立って、事に当たっていくつもりです」と述べているが、これは、安倍首相による「天皇の政治利用」に対するカウンターだともささやかれた。

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