『この世界の片隅に』につながる『夕凪の街 桜の国』への批判と反省
読者からの批判や自らの反省は『この世界の片隅に』に活かされていく。
『この世界の片隅に』では、在日朝鮮人のことをなかったことにはしていない。 玉音放送を聴いた直後、主人公・すずは水を汲みに行き、道中で倒れ込みながら涙する。その道すがらには終戦を受けて朝鮮の独立旗が掲げられており、それを横目にすずは〈暴力で従えとったいう事か じゃけえ暴力に屈するいう事かね それがこの国の正体かね うちも知らんまま死にたかったなあ……〉と独白する。
また、『この世界の片隅に』の主な舞台は呉で、原爆を中心とした物語にはなっていない。物語の終盤では原爆投下が重要な事件として描かれていくが、もともとは原爆を描くつもりはなかったという(前掲「ユリイカ」の西島大介との対談より)。
それでも、『夕凪の街 桜の国』がドラマ化され、多くの人の目に触れることになるのは、大きな意義がある。「週刊金曜日」(金曜日)2005年9月9日号でこうの史代は「表現」がもつ力をこのように語っている。
「戦時中の生活は、今の人間にはとても耐えられないと思うのです。そういうところをマンガで描けば、「戦争やればいいじゃん」とか「どっちでもいいじゃん」などという人たちが減るのではないか、と。
今回の作品で、マンガという手法はそうしたことがとても伝わり易いということがわかったのです」
それはドラマも同じだろう。日本社会全体の右傾化が進み、日本国憲法第九条を骨抜きにしようとする議論が進む昨今、このような「戦争」をテーマにしたドラマはほとんど放送されなくなってしまった。そんななかにあって『夕凪の街 桜の国2018』のようなドラマが放送されるという意義は大きい。たくさんの人に見られる作品になることを切に願う。
(編集部)
(編集部)
最終更新:2018.08.06 10:36