浅薄なデモ批判をただしデモの意味を語った水道橋博士とウーマン村本
これに対し、西村博之は案の定、「騒ぎたい人たちが集まって騒いでいるので、それはそれで楽しいんだろうなって思うんですけど、それで社会が変わるとはまったく思えないので。単にみんなで集まって騒いでます、ああ楽しそうですねってだけで、それでなにかが変わると思ってやってるんだったら、ちょっと違うんじゃないかな」と、冷笑的な言葉を浴びせかけた。
これに対し、水道橋博士は激怒。「大きく言えばですよ、公民権運動・黒人差別運動もそう、デモンストレーションありきじゃないですか。そういうことがあって、この人類史が進んでいるところで、そのデモ自体の意味がないということは、まったくそんなことない。そんなわけないじゃないですか」と、実際にデモ行動が社会を変えた歴史的事実をあげて、その浅薄な考えをただした。
西村博之のような冷笑系は、よく「政治を変えるのは選挙であって、デモではない。政治を変えたいんだったら国会前で騒いでないで、選挙で勝つことを考えるべき」と言うが(実際にこの番組内でもそのような発言を繰り返していた)、しかし、こうした意見は民主主義をまったく理解していない。
多数決や選挙で決まった以上、権力はなにをやってもいいとなったら、それはいとも簡単にファシズムに転化してしまう。デモにはその権力の暴走を止め、「国民」に危険性を広く知らしめるという大きな役割を持っているのだ。
このことを指摘したのが村本大輔だった。村本は「ただただニュース見てたら、これが良いことか悪いことかってわかんないですもんね。大きく国民がデモしたりして動いたときに『ああ、これってこんなにもおかしいことなんだ』って(わかる)」と、「デモ」という表現が国民にもたらす効果を語ったうえ、こんな真っ当な指摘した。
「森友、モリカケ、ああいうことがあって、イラク日報とか、色々なことが最近あったじゃないですか。ああいうことで、もしも誰もいっさい一人もデモに行かなくて、ツイッターに文句誰も書かなかったら、たぶん、この国やべえって言い出すと思うんですよ、逆に」