犯罪的差別に加担するパートナーを見て見ぬふりする西原の責任
もちろん、恋人だからといって西原が高須院長と主義主張まで同じになっていると決めつけるつもりはない。しかし、繰り返すが、人種差別に賛同し、ナチ肯定やトンデモ歴史修正主義を日々ぶちまけている高須院長のすぐそばにいるにもかかわらず、現実として西原は、それに批判的な姿勢は全くといっていいほど見せようとしない。もし、主義主張が同じでないとしたら、恋人の顔色を伺って口をつぐんでいる、あるいは高須院長のネトウヨ脳に無意識に適応している。そうとしか思えない。
西原理恵子という作家はどんな権威に対してもズバズバ切り込んでいく「反骨」の人間、そう、少なからぬ読者は思っているかもしれないが、実際には、自己周辺の空気を過剰なほど読んで、とりわけ身近で愛する(愛してくれる)人に対しては、ある種、自己防衛的に見て見ぬふりをしてしまう。そういうタイプなのかもしれない。
しかし、いずれにしても、これは差別問題なのだ。恋人の政治的立場に対して言及しないとか、そういうレベルの話ではない。人種や国籍を一括りにあげつらって、社会から強制的に排除しようとし、ましてや虐殺まで煽動する。その行為は、政治的主張でなく、もはや犯罪だ。
西原は自らも社会的発言をしている表現者でありながら、そんな差別犯罪を応援するパートナーを笑顔で見守っているのだから、同類と思われても仕方がないだろう。
差別は、何があっても、断じて容認してはならないし、徹底的に批判せねばならない。重度の「ネトウヨ」に惚れた作家・西原理恵子にあらためて問う。本当に、このままでいいのか。
(宮島みつや)
最終更新:2018.01.08 12:06