相撲ファンとマスコミをおおうモンゴルヘイト、稀勢の里礼賛の裏にも
つまり、もともと白鵬らモンゴル力士に敵対感情を抱いていた貴乃花が日馬富士の暴力問題を奇貨として、モンゴル排除に動き始めた。それが、一連のモンゴル八百長バッシング報道に結びついたということのようだ。
ただ、モンゴルバッシングの広がりは貴乃花サイドの仕掛けだけではなく、もうひとつ大きな理由がある。それはいま、相撲界をおおっているヘイト、排外主義の空気だ。
もともと相撲界はこれだけ外国人力士に依存する一方で、日本国籍でなければ相撲協会に残れないなど、露骨な差別制度、差別体質が厳然と存在し続けてきた。ところが、数年前から、それに加えて、メディアやファンの間で、明らかに外国人力士への“ヘイト”と思われる言動が目立ち始めているのだ。
2013年の大相撲九州場所で、当時まだ大関だった稀勢の里が白鵬に勝利した際には、会場でファンがバンザイコールするという異例の事態となった。それ以降も白鵬は、対戦相手への盛大な応援コール、言い換えれば白鵬への負けろコールのなか相撲を取るというのが常態化している。
今年3月の大相撲春場所でも、モンゴル出身の大関・照ノ富士と関脇・琴奨菊の取り組みで、照ノ富士が立ち会い変化したことに観客は大ブーイング。「モンゴルへ帰れ」というヘイトスピーチまで浴びせた。
ファンだけでなく、スポーツ新聞も露骨になってきた。たとえば、この取り組みを報じたウェブ版のスポーツ報知は「照ノ富士、変化で王手も大ブーイング!「モンゴル帰れ」」と見出しをつけて、なんとヘイト野次を肯定的に報じたのだ。
そして、こうしたマスコミは日本人力士が活躍するとことさら「日本人」を強調し騒ぎ立てる。琴奨菊が優勝すると「日本人力士(日本出身力士)」として10年ぶりの優勝、稀勢の里が横綱になった際も19年ぶりの「日本人横綱」ともちあげるというように。
とくに19年ぶりの「日本人横綱」とされる稀勢の里は国粋主義の象徴的存在となっている。サンケイスポーツは、昨年11月、稀勢の里が百田尚樹のネトウヨ丸出しの改憲プロパガンダ小説『カエルの楽園』(新潮社)を持参していたエピソードを紹介。こんな解説記事を掲載した。
〈「カエル-」は侵略によって国を失ったアマガエルが世界を放浪しながら「カエルを信じろ、カエルと争うな、争う力を持つな」と「三戒」の堅守にこだわるツチガエルの言動に疑問を抱く様子も描かれている。それは、モンゴル勢を中心とする外国出身力士が席巻する勢力図のなかで、あらがわなければならない国内出身力士の立場に置き換えることもできる。〉(2016年11月25日付)
『カエルの楽園』で、ツチガエルを侵略するウシガエルはあらゆるものを飲み込む気持ちの悪い殺戮者として描かれている。外国人力士をツチガエルに置き換えるなどヘイトそのものだが、しかし、これがいまの稀勢の里と相撲界をめぐる日本社会の視線なのだ。