トーンポリシングを繰り返すつるのが出席していた「親学」イベント
本人ももち出しているとおり、「保育園落ちた日本死ね」が昨年の流行語大賞にランクインした際、つるのは〈こんな汚い言葉に国会議員が満面の笑みで登壇、授与って。なんだか日本人としても親としても僕はとても悲しい気持ちになりました〉とツイート。「保育園落ちた日本死ね」という言葉に込められた、子どもを保育園に入れられなかった母親の切実な思いを無視し、「こんな汚い言葉」と、その“言葉遣い”のほうを非難していた。
そして、今回も「こういう問題提起の仕方は本当に悩んでいる働くママ達や子供が結局一番可哀想な思いをしてしまうんじゃないかなあ」などと、母親や子どものことを考えているフリをしているが、緒方議員の問題提起そのものについては無視している。では、いったいどういう訴え方だったら、彼女の問題提起に耳を傾けるというのだろうか。
だいたいつるのはなぜか“働くママ”に限定しているが、議会に赤ちゃんを同伴するのは、父親や祖父母の可能性だってあるし、市議会のような公的な場に赤ちゃんが同席できるようになれば職場に限らず公的な場での赤ちゃんに対する受け止め方が変わり、専業主婦の母親にとっても子育てしやすい社会につながるだろう。それは、当然子どもにとって居心地のよい社会にもつながる。
ようするにつるのは、本当の意味で“子育てしやすい社会”など真剣に考えてはおらず、本音は「子どもは、母親が家で育てろ」というものなのだ。これは決して本サイトがうがった見方をしているわけではない。
というのも、つるのは、「保育園落ちた日本死ね」や今回の熊本市議赤ちゃん連れ問題については、言葉遣いや問題提起の仕方を理由に批判しているが、一方で、同じ「汚い言葉」でも、国家の政策に反対する人たちやマイノリティをなじるものについては否定するどころか、それを積極的に支持してきた。
そして何より、つるのはあの「親学」の広告塔的役割を果しているからだ。たとえば、つるのは、2014年4月に西尾青年会議所主催の「親学のススメ」なるイベントに親学ディスカッションのパネリストとして参加。昨年5月にも松本青年会議所主催の親学をテーマとした「子育てフォーラム」というイベントでもパネリストをつとめている。
親学とは本サイトでも繰り返し指摘している通り、日本会議の中心メンバーである高橋史朗が提唱する教育理論で、「児童の2次障害は幼児期の愛着の形成に起因する」などと主張するもの。“子どもを産んだら母親が傍にいて育てないと発達障害になる。だから仕事をせずに家にいろ”という科学的にはなんの根拠もないトンデモ理論だ。
前川喜平前文科事務次官は、本サイトの室井佑月氏との対談で、この親学について、安倍政権の教育政策の背景にある考え方であると指摘したうえで、こう批判している。
「親学というのは、子どもに問題があるのは「親がしっかりしてないからいけない」という考え方です。しかし、いくら「しっかりしたい」「がんばりたい」と思っていても、余裕のない親はたくさんいる。そういう問題を解決しないで「親がいけないんだ」と親の責任にして押し付ける。結局、それでは貧困や母子家庭であえぐ子どもたちを救うことにならない。“親がしっかりすればいい”なんて論理は、つまり“社会的なケアなど必要ない”と言うのと同じです。」
「親学は、「家族が大事なんだ」という考え方でもある。私は個人主義だから個人が社会の単位だと思っていますが、しかし親学は“家族が社会の単位”という考え方です。個人であることよりも家族の一員、一族の一員であることが大事だという。この家族主義的考え方は、じつは、戦前の国体思想でもある。戦前の教育勅語で示されている考え方です。そして、そのベースには家父長制の家制度があった。そこでは親孝行こそ最大の美徳になる。家族なんだからという理屈ですべてを吸収してしまう。」
つるのが、こうした女性の社会進出を是としない親学の考え方に共鳴していることを考えれば、「保育園落ちた日本死ね」や今回の熊本市議赤ちゃん同伴に難癖をつけているのも、「汚い言葉」「問題提起の仕方がよくない」などというのが建前にすぎないとよくわかる。