佐野元春が語る「ソングライターは“メディア”みたいなもの」
周知の通り、佐野元春といえば、日本におけるプロテストソングの代表曲のひとつ「警告どおり計画どおり」を世に送り出したシンガーソングライターである。
1988年8月に発表されたこの曲では、ウィンズケール、スリーマイル、チェルノブイリといった、これまで重大な原子力事故を起こした土地の名を歌詞のなかに埋め込み、これ以上原子力発電を使い続けていいのかどうかという疑問や、それらに関する知識を意図的に隠そうとするマスコミへの憤りを歌ったものだった。
前述したような作品や活動からもわかる通り、その姿勢は80年代から現在にいたるまでいっさい変わっていない。
昨年、野外ロックフェス「FUJI ROCK FESTIVAL’16」にSEALDsの奥田愛基氏の出演がアナウンスされたことをきっかけとして巻き起こった炎上、および、そのなかで「音楽に政治をもちこむな」などという馬鹿げた意見がネット上を飛び交ったことは記憶に新しい。
佐野は「ローリングストーン日本版」(セブン&アイ出版)2016年10月号に掲載されたSEALDsの活動を振り返る記事に短い文章を寄稿しているのだが、そのなかで彼はこのように綴り、若い世代にエールを送っている。
〈SEALDsは嫌われたんじゃない、怖がられたんだ
いつの時代でも、自由な存在を怖がる連中がいる〉
佐野が自らの作品や発言に社会的なメッセージを織り交ぜ続けるのは、それこそがソングライターとしての彼の根幹を為すものだからである。昨年3月にウェブサイト「ORICON NEWS」に掲載されたインタビューで佐野は、自分の歌を「メディア」と呼び、その意味をこのように解説している。
「ソングライターって、言ってみれば“メディア”みたいなものです。この社会で暮らしていて、自分の身の回りにいろいろなことが起こる。友人や大切な人の身に何かが起こる。社会で何かが起こる。権力を持った人間が、何か横暴なことをやる。それで、僕の身近な人たちが苦しんでいるのをたまたま見たりする。そうすると僕は、それを“メディア”としてスケッチして、文字にして、曲にしていくんです」
プロテストソングを歌っていた時期のボブ・ディランは新聞やニュース番組で取り上げられた事件を歌にする手法をとっていたし、その後、時代を経ても同様の手法で曲をつくったミュージシャンは数多い。特にヒップホップは黎明期からその要素が強く、貧困や差別などスラム街で起きているひどい現状を歌にすることでその地獄を外に発信しようとした。パブリック・エネミーのチャック・Dによる「ラップミュージックは黒人社会におけるCNNである」という有名な発言はまさにそれを体現したものである。
佐野がとっているこの創作アプローチは決して古びたものではなく、いま現在でも十分に機能するものである。しかし、わざわざネットの住民が「音楽に政治をもちこむな」などとがなりたてずとも、どんどん内に閉じこもり、社会で起こっていることとは距離を保つ若手ミュージシャンは多い。ラッパーのSKY-HIをはじめ、一部には炎上をものともせず自らの主張を押し出すことに物怖じしない人もいるが、そういった人がもっと増えてくれればと切に願う。
(編集部)
最終更新:2017.11.07 07:04