なぜか漢和辞典、漢文を“敵性語”扱いする百田尚樹の知性
あらためて言っておくが、漢和辞典というのは、漢字や熟語の意味等について日本語で解説する辞典一般を指す。たとえば筆者が愛用している漢和辞典は岩波書店の「新漢語辞典」と三省堂の「全訳漢辞海」だが、基本的には難読漢字の読み方、漢字そのものの正確な意味や成り立ち、あるいは熟語を探すために用いている。また、漢文(古典中国語)を読解するにあたっても役に立つ。
他方、漢和辞典は、日本語話者が中国語を学ぶために使う中日辞典や日中辞典とはまったく違う。どれくらい違うかというと、英和・和英・英英辞書とブリタニカ世界大百科辞典ぐらい用途が異なると表現すればいいだろうか。加えれば、現代中国語の漢字と日本語の漢字は、当たり前だが語彙が異なり、形や意味も違うことが多く、中国語話者と日本語で使う漢字を使って筆談しようとしてうまくいかなかったなどということは、少なからぬ日本語話者に経験があるのではないか。
ちなみに、筆者は中国語話者が日本語を学ぶための中日辞書を使ったことはないが、少なくとも、日本語がほとんどわからない中国語話者が漢和辞典をひらいてもチンプンカンプンであることは間違いないだろう。ひっきょう、一般的には、漢和辞典は“日本話者が日本語のなかの漢字について学ぶため”の辞典であって、普通は“中国語話者が日本語を話せるようになるため”のツールではないのである。
一方、百田センセイは、〈テント村の中には、漢和辞典も。日本語を勉強している人たちなのかも〉とツイートして、さも“基地反対運動のテントに中国人の痕跡があった”というふうに得意げに言いふらしたわけだ。作家を名乗っているくせに、漢和辞典も使ったことがないのか? 完全にバカの恥さらしである。
そういえば、百田センセイは少し前にも、雑誌で「中国を偉大な国と勘違いさせる「漢文」の授業は廃止せよ」なる“漢文廃止論”を唱えていた。(過去記事参照)。
百田に言わせれば、日本人には「中国の脅威」に対する危機感が足りず、それは「中国への漠然とした憧れ」が原因で、その「憧れ」は『史記』や『三国志』などの影響で生まれた“中国は歴史的な文明国”との「誤解」に基づいている。すなわち、そうした史書の読解力を身につける「漢文」は“敵性言語”という扱いらしい。だが、本サイトでも指摘したように、日本の歴史・文化を漢文の存在抜きで語ることなど不可能だし、百田の大好きな明治憲法や教育勅語も漢文訓読調だ。また、森鴎外や夏目漱石、芥川龍之介などの文豪も漢文をこよなく愛したことはよく知られている。
こんなバカが、ネトウヨの間では「愛国者」としてちやほやされているという事実。あらためて乾いた笑いが出てくるではないか。