総理大臣に批判的な声をあげることは名誉毀損ではない!
2000年のこと。月刊誌「噂の真相」(休刊)が、時の総理大臣・森喜朗が早稲田大学在学中に売春取締条例で検挙歴があることをスクープ。これに対し森喜朗が、名誉を傷つけられたとして、謝罪広告および1000万円の慰謝料を求めた民事訴訟を起こした。
このとき、森は「噂の真相」が記事内で自分のことを「サメの脳ミソ」「ノミの心臓」と表現したことについても、「意見論評の域を超えている」として、名誉毀損の対象となると主張していた。
しかし、翌年の4月28日、東京地裁はこの部分について、原告・森喜朗の主張をしりぞけた。判決は、問題とされた「サメの脳ミソ」「ノミの心臓」という暗喩表現について、〈低能、小心者を想起させる表現であり、原告は内閣総理大臣を務める適正を欠くかのような印象を与え、原告の名誉感情を害しかねない〉と前置きしつつ、〈具体的事実を適示するものではなく、いささか品位を欠く表現ではあるけれども、表現自体が違法性を帯びるようなものとはいえない〉とした。そして、こう続けている。
〈原告は政治家で、しかも内閣総理大臣である。その資質、能力、品格が政治的・社会的に厳しい批判に、時には揶揄にさらされることは避け難い立場にある。こうした立場を前提に本件雑誌を読む一般の読者も、風刺的表現として理解するにすぎないであろう。「サメの脳ミソ」などの表現をもって、直ちに原告の社会的評価を低下させるとするのは相当ではない。この程度の表現は受忍すべきだ。〉
この判決の2日後、森喜朗は内閣総辞職し、総理の座から退いたのだが、それはともかく、裁判所は総理大臣など「公人のなかの公人」と言える人物に関しては、「厳しい批判」や「揶揄」も「受忍すべき」という判断を明確に示したのである。
当然だろう。それがいかに辛辣で品位を欠く表現であろうが、為政者に対して自由に批判できることこそが民主主義国家としての絶対条件、最後の砦なのだ。
実際、先進国ではどの国でも、メディアやジャーナリスト、お笑い芸人たちが自由に大統領や首相などの権力者を批判し、揶揄し、茶化し、バカにしている。もちろん、権力者の側もそれを圧力で封じ込めたりすることはない。日々大量につくられ続ける、ドナルド・トランプを皮肉ったジョークの数々からもそれはわかるだろう。