日野皓正「トイレのスリッパがきちんと並んでいるのがジャズ」
日野は、ウェブサイト「billboard JAPAN」のインタビューで講師としての活動に触れていたのだが、そこではこのように語っていた。
「僕は音楽を教えているつもりはないんですよ。少し語弊があるかもしれないけど、音楽の前に人間とはってことだと思うんです。東京の世田谷区で10年以上続けているドリーム・ジャズ・バンドという中学生ビッグバンドのワークショップがあるんですけど、ある時トイレに行くとスリッパが逆を向いている、皆を集めて「お前らは自分のことだけしか考えていないんだろ。次の人が履きづらいだろ。」「皆を思いやる気持ちがないヤツらには音楽(ジャズ)をやる資格はない。」ってね。次のときトイレへ行くとスリッパがきちんと並んでいる。うれしかったね、涙が出たもの、その時は。「これがジャズなんだぞ、覚えておけよ。」、「はい!」みたいな。あと、人と話しするときは相手の目を見て話せよとか、ありがとう、ごめんなさい、これが言える人間にならないとダメだぞとかね」
ジャズミュージシャンとは思えぬ、まるでPTAの役員かのごとき発言だが、「スリッパ云々がジャズなのか?」という素朴な疑問はともかく、この発言を読む限り日野は「音楽」よりも前に、社会で生活するにあたって必要な「礼儀」といったものを教えたいと志しているのだろう。
であるならば、よりいっそう、感情に任せて舞台上で生徒にビンタを食らわせるのではなく、違う解決法を探るべきだったはずだ。日野の今回の行動から子どもたちが学ぶことは、「自分の意に沿わない人間には暴力を加えて服従させればいい」ということだ。それは教育ではないし、日野がこの講師の仕事を通して子どもたちに教えたいとしていたこととも矛盾するものである。
ところで、日野のこの騒動を見て、ネット上では「まるで『セッション』みたいだ」という声が多く聞かれた。確かに、「度を超したパワハラ指導を行う教師と、それに耐える生徒のドラマー」という構図は、まさしく映画『セッション』そのままである。
3年も前の作品なのでネタバレを承知で書くが、『セッション』のラストではスタンドプレーで猛烈なドラムソロを見せる生徒のアンドリュー・ニーマンに対し、ついにテレンス・フレッチャー先生が折れ、その演奏を認めるところで幕を下ろす。
今回騒動に巻き込まれた少年も、どうかその心意気を忘れず、いつの日か、『セッション』のラストシーンを再現してほしいものである。
(編集部)
最終更新:2017.12.07 05:31